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 振り返れば13年前、中国医術針灸士の道を断念、東京より帰り心機一転、再び進路を変
え転業し、「寶」に巡り会うべく、人生の再々出発をしたその始発の会社が「宝」の社名
で私の進路を明示戴いた井上社長ならびに、出雲の山田様にも改めて感謝申し上げる次第
です。
 陰陽嵐の歳月そして妹を失う・・・全ての過去を背に、本書の執筆に突き進む。その間
親族をはじめとして戴いた私への賀状、その他暖かいご厚情に対し、一切返礼を欠きまし

た事、この場を借りて深くお詫び申し上げます。
 本書は今日に至るまで、数度の仮仕上げを試みています。
 
第一回目が平成915日発行で、最低限「寶」の基本的概要が掴める内容を目指しま
した。第二回目が平成
9714日・第三回目が平成1195日即ち、いずれも天印の吉
数日と承禎の願いに合わせるべく厳しい戦いでした。最初の発行は、両親が共に80才を
超えたのと、何よりも「寶」を託された吉田翁が90才を越える高齢で、病の床に就かれ
たからです。第一回目は、前年
1231日大晦日夜950分に仕上がりこの「寶」の本を、
吉田翁は勿論ごく限られた方々に配って、帰宅した時、最早、除夜の鐘も鳴り終わり初詣
での人と行き交う有様でした。
 この第一回目の追い込みの1ヶ月近くは平均睡眠3時間を確実に切る、不眠不休の戦い
でした。第一回目の仮仕上げで、悲願であった翁に報告出来た事により、幾分心の余裕を
取り戻したとは言え、さらなる解明と本の充実に取り組む、その後の数年でした。 その
間の苦しい日々、お隣りの森永牛乳、竹内氏の声援と、弾んだ会話は一服の清涼であった。
 そして増版を重ねる数年の間、町内の中川先生により本作りのアドバイス、同じく町内
の近藤先生に巻末の英訳(第
2回)をお願いしたり、市内・中町屋、竹中の両書道の先生
に手本をお願いするなど執筆のかたわら多方面のお力添えを仰ぐ。
 又本書に載る挿絵は、広瀬勝彦氏の力作で寝食を忘れ見事に華を添えて戴きました。
 私の仮本を何度も読み返し、私の願いを見事に描いてくれました。奥さん共々、深く感謝
申し上げる。

 又、本書への身に余る評価と深いご理解を賜り、関係各位方面にお気づかい戴いた市内
白石整形外科の奥様、その実弟の清河画伯は、本書8章8項で述べた大和民族の「寶」
まさに祈りの中で創作され、感動の大作はまさに日本の「寶」でありました。
 以上多くの友人の心暖かい励ましのお言葉がいく筋もの流となって、「寶」の大河に注
ぎ、遂に本書の完成を迎える事が出来ました。
本書「寶」完成は、ひとえに私を支えて戴いた多くの方々のお力添えの贈物であります。



  「寶」観え 祇園の山草に 月と星

                    祇園祭りにて
               平成9年7月14日



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拙著「寶」本「あとがき」より