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この7年間全くの門外漢、素人の私にとって、まさに壮絶な戦いでありました。歓喜の
の中にも、その果てしない戦いは何時果てるとも知れない道程でした。己を虚しく、無心
になれば必ず道は開ける、“世に必ず人はいる”この固い信念のもと、第二回目の仮仕上
げをした「寶」本を、本書第
8章「5」ですでに紹介いたしました。吉野裕子博士にお送り
したところ、貴重なお時間を割きお電話を戴きました。
 博士は私に易と陰陽五行思想から「寶」の神知を開眼戴き、著された数々の著書は日本
文化の新天地を開かれ一連の著書は、まさに日本の「寶」であります。

 既に報告いたしました通り博士の著書で「寶」を取り上げて戴き、さらに身に余るお言
葉を賜りました。

 先生の著書と出会わなければ“陰陽の交合”“星の瞬き、など「太極」の扉は開くこと
なく、未だ混沌の中であったろう。
 この7年、研究書としての重要性は勿論ですが、それ以外私にとって『大漢和辞典』と
ともに座右の書でありました。
 一度もお会いしていない、未熟以前の私に、各段の御高配を賜りこの場を借り改めて深
く深く御礼申し上げます。
 同じく中国政府より日本に選抜派遣され来日されておられます。王敏博士から、驚きの
声で迎えられました。
 今後のご支援を合わせた暖かいお言葉のお手紙を戴き、改めてその学恩に厚く御礼申し
上げます。
 まさに日中を代表される二人にお言葉を賜り「寶」の道は明確に示されました。
 また「寶」の道を歩む第一歩を示して戴いた大阪市立美術館館長、蓑豊館長からも心暖
かいお祝いのお手紙を戴きこの場を借り改めて御礼申し上げます。
 お世話に預かった三人の博士、そして京都有隣館、藤井善三郎館長の終始一貫した深い
理解、玉書を賜った全国放送番組向上委員会委員長・草柳大蔵様他、ご理解を賜った多く
の方々に報いるためにも、一切の私心を捨て「寶」は漢文化の希望の「寶」として役立て
ることを、再びお誓い申し上げます。
 「寶」の発見と解明は。決して特殊な能力があってできたものではありません、体験か
ら培った気力、元気だけが元で知識などは二の次です。この私の“気”は二十年前当時の
新聞テレビにも大きく報道された、岐阜長野両県にまたがる凶悪事件を即断した。
 その当時容疑者の男女二人以外、逮捕“即日”完璧に予見した人は日本中で“片手”も
いなかったであろう。
 私の“予観”通り片方の男性は十年前に完全無罪、平成十年の今年、女性の再審上告は
棄却され極刑の判決にて完全結審した。即ち女性の完全単独犯行である。また財田川はま
さに清かった。
 この平成承禎驚異の観は二十年前、某喫茶の芙蓉様は逮捕翌日、私が即断し明言したこ
とを、今も鮮明に記憶し深く脱帽している筈である。現代は高学歴社会で博識の方が多く
かえってものが観えない人が多数を占めているような気がします。
恐らく、
21世紀を迎えようとする節目の日本は厳しい試練、混沌の時節を経なければな
ないであろう。
 しかし全ての原点にかえり、雑草の如く廃墟から立ち上がった、先人たちのことを是非
思いおこして戴きたい。
 「道」は必ず開かれることを世の若者に是非知って戴きたいのです。
 人生の数多くの失敗と失意はその人のかけがえのない「寶」です。
 イバラの道こそ望む所です。大志を胸に、まず自灯明そして、生涯の時間をかけ自分の
夢に向かって欲しいと切に願うものです。
 重ねてかけがえの無い人生を命の限り大切に生きて欲しいと願うものです。

   霊峰の 朝日に映ゆる 磯千鳥

                     有磯の浜辺にて
                 平成九年5月15日



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拙著「寶」本「あとがき」より