俳句・短歌と承禎
下手な俳句・短歌を作り始めて九年6600句を越えた
死ぬまでに川柳を加えて1万句は越えたいと願っている
明治天皇の和歌が10万句以上と聞いた
夭折した正岡子規は2万4000と聞いている
先ごろテレビで見ていたら若手歌舞伎役者も親から俳句短歌を子供のころから詠むよう習
慣づけられていたと云う
世にまだまだ沢山、詠んでいる人もいるだろう
中国の歌聖杜甫は1400、李白は900が残っている
家持・一茶・牧水・虚子・山頭火・昔から多くの句を詠む人はいるが、やはり俳聖と云わ
れる芭蕉は凄い
芭蕉を承禎は尊敬している
マアそれはさておき、承禎の場合、俳句短歌はボケ防止、頭のトレーニングである
それと不動産屋をしている承禎に取って商売に相当役に立っている気がする
不動産屋はお客に理解してもらい納得してもらう商売である
技術者は製品なり修善の結果でお客に納得してもらう仕事である
口下手でも、無口でも製品・技術で充分、売り手の心が伝わる商売である
不動産業の場合はその様な訳にはゆかない
例えば中古住宅の場合、A・B・Cの物件を比較して相手に何故AがBCより総合面で、よ
りベターか説明しなければならない
的確に無駄を省いて説明する必要がある
しかも、時として日本の経済情勢、時代の流れ、法律問題、建築様式・建物の構造の比較、
少子高齢化現象と不動産、近隣状況その他説明に要する分野は多岐にわたっている
それを極力簡潔に説明し納得させねばならない
多弁で必要以外の言葉の羅列だと契約目的から外れ、世間話で終わる。
「荒海や佐渡によことう、天の川」
まさに芭蕉は宇宙規模、目の前の情景を、五七五の極限の法則で伝えているのである
不動産に例えれば、世界経済と目の前の土地建物(荒海や佐渡)の状況を極限の絶句で伝えて
いるのである
まさに芭蕉は超プロの営業マンである
芭蕉までは行かなくとも、如何に端的に理解して戴くかが、プロのトークなのである
俳句は基本的に5・7・5の中に季語を入れて、情感・情景を詠う
言葉・語彙の五・七・五は法則、法律である
そして「季語」は俳句の歌いあげる目的、主題、自分の感動を、聞き手または読む人に伝
えたいセールス・ポイントである
五七五の究極的に削ぎ落された絶句で自分の伝えたい情景を詠むのである
それ以上の修飾は蛇足である
目的の契約を目指し、修飾せず、簡潔・究極的に誘導するのである
あとは顧客の感性、想像に任せるのである
こんな五七五で自分の云いたいことが商売相手に伝えられれば、こんな素晴らしいセール
スは無い
ビジネスの電話も文章もまた同じである
そこを考えるとこの文章も恥じ入るばかりである。
従業員に聞かせる為書いたが、到底簡潔と云えない
この文章、蛇足あり、力不足、字誤り、季語不在である
マア、それでも約九年続けて来て、以前より少しは良くなってきたと思っている
承禎の人生の九割は商売である
お金は人生の目的ではなく手段である、しかしお金が無くては何も出来ない。
商売はお金儲けである、お金儲け即ちプロで、アマチュアでは無い
承禎はゴルフなどの趣味はあの世で思いっきりする
承禎は死ぬ時が定年
人生は一度きり、アドベンチャー、未踏の世界に探検である