タバコと私

 

承禎の熱風録にも少し書いてある筈である

タバコを吸いだしたのは、高校2年の多分夏休み頃であろう

子供の頃、祖父がキセルに刻みタバコを詰めて吸っていた

祖父は美味そうに吸っていた

祖父のヒザの上に座っているとタバコの匂いがした

小学校4年生頃であろうか、ある日隠れてキセルに詰めて思いっきり吸ってみた

脳天を突き抜けるほどの衝撃であった

生涯タバコなど吸うものかと思った

それがマージャンを覚えた高校2年頃からタバコを吸いだした

当時は「いこい」「しんせい」「わかば」中級が「ハイライト」高級「ピース」「ホープ」

一番下は「朝日」「ゴールデン・バット」などであった

タバコのお金が無くて、仲間と回しのみした事もあった

学校でタバコがばれて、学校謹慎になった事がある

ポケットのスミにはタバコの粉、人差し指の爪は茶色!バレル道理である

結婚していたサラリーマン時代、1年間禁煙した

中断して再び1年程禁煙した

給料袋、ボーナスは8年間一度も封を切らずに渡した、マージャンで稼いだ小遣いを倹約

するためであった

その後は一度も禁煙を試みる事は無い

禁断症状の辛さを知っているから自信が無い

この歳である、やめる気持ちは今のところ無い

「寶」本を書いている時は、一日6箱を吸っていた

今は4箱に減った

作家の司馬遼太郎もヘビースモーカーであったと記憶している

酒とタバコ・・・どちらもヤメラレナイ

氷見市の法人税収入より、タバコの税収の方が多いと聞く

私は相当貢献していると胸を張っている

意志貫徹、私は意志が強いのである

現在吸っているのが、300円のフロンティアである

これで勘案すると

300円×2、5箱×365日×40年間=1095万円の煙である

800万以上は確実であろう!

参った

平成19510