ちり紙交換

 

東京での最初の仕事を易者や不動産屋の後に書いたのには訳があった

車は1tトラックであった

当時古新聞はトン当たり1万円と記憶している

車一杯積み上げて1万円、ガソリンその他を差し引くと計算が合わない時代であった

先輩同業者に聞くと、殆どの者が廃業していったと言う

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それでも私は、ひばりが丘周辺からエリアを広げ新座市・田無、東久留米を不動産会社

から次の不動産会社就職までの間を巡回していたのである

エレベーターの無い4階などのアパートは一番キツイ客であった

両手に古新聞をもって何回も往復である

また古本・エロ本などがあると副収入で古本屋に持ち込んでいた

暮れの30日で築地のアルバイトは終了した、

アルバイト代は家賃に消えた

大晦日の31日はポケットの中に何千円しか入っていなかった

元旦、2日は仕事が無い・・・・・・・・

31日は家々もきっと大掃除で古新聞が出るだろう・・・・・・と

計量し現金を頂ける会社は平時の終了は7時であった

回収した新聞を暗くなった6時頃持ち込むと会社は5時で終了していた

平時の1.5倍程積み上げた古新聞を載せて暗い道を引き返した。

迂闊であった

悪いことは重なるもので高く積んだ荷が帰途で荷崩れした

・・・・・やっとの思いで積み直す。何とかシートに縄を張った

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夜紅白が始まろうとする9時頃にアパート近くのお宮の駐車場に着いた

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惨めで暗澹たる大晦日であった・・・・・・・

ポケットに何千円しか無かった

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年明け早々に氷見帰ろう・・・・・・・・

心でポツリと思った

今も惨めな思いをしたその日の事が、大晦日が来るたびに思い出される

平成19110