築地市場

 

築地に伊勢○と言う魚卸の会社がある

ちり紙交換、易者、不動産会社4社、道路工事の夜警、建築会社そして築地魚問屋

である

その頃私は既に郷里での不動産の道を決めている

夜の世界で生の情報も得なければならない

何でも体で勉強するホモ・モーベンス型の人間である

お金が底をついていたのである

送金はゼロ、それどころか確か15万程追加送金させたと記憶している

鍼灸試験補欠になった時点で、最早私の頭は帰る準備をしていた

しかし今後、二度と経験しないであろう東京生活である、いま少し東京に居たかった

不動産と交錯する何月頃か記憶は定かで無いが就職情報誌に築地の魚問屋の募集が載って

いた

当時の私の頭で、日本一忙しい仕事は東証の証券市場の売買人と、日本一の台所、東京築

地市場ではないかと想像していた

アルバイトであるが条件もよかったと記憶している

平時は朝の一番電車でゆき、4時頃に終わる仕事であった

聞きしに勝る忙しさである

断続的にアルバイトに行っていた

弁護士志望のアルバイトと私とで裏方を一手にするのである

魚の配達は2度の付き添いで、3度目は即、銀座くるま屋、レストラン大志満?!烏森?

社長経営の寿司店の配達である

不案内な東京を2回の試走で即行け!!!!である!!!!

取り分け師走の30日までの一週間は、すさまじい忙しさであった

まさに日本一の忙しさであろう!!!!!!

ホント凄かった

また暮れの25日だったと記憶している!社長が私に250万円の集金を任せた

私は社長に問うた!!!「集金して私が逃げたらどうするの」???!

すると社長は、「君はこんなはした金で逃げる人間じゃ無いと」!!!!!!

暮れの市場のもの凄い人出を掻き分け、大八車に山と積んで一心太助であった

兎に角暮れは朝の5時半頃から終了の5時頃まであっという間の時間であった

昼休みも無し、おにぎりを片手にかじりながらの猛烈さであった

息つく間など全く無し!!!!!!!凄いとしか言い様が無かった

最後頃社長は自社マンションがあるから、そのまま勤めてくれないかと言う

ありがたく辞した

ここでの経験は日本一忙しい所で仕事をこなした、これからはどんな仕事でもこなせ

る!!であった

今は懐かしい思い出である

                                                              平成1919