鍼灸師めざし東京へ



記憶では息子の大学進学のゼミに合わせ上京した筈であるがハッキリとは思い出せない

夏休み7月と記憶している

東京にいたのが7ケ月と少々と記憶している大晦日が東京であるから勘定が合ってくる

それは良いとして、私は東京に着いたら即仕事をしなくてはならない

しかも鍼灸の学校は日中である(夜間も有ったかもしれない?)

従って仕事は夜か自由業でなくてはならない

果たして自活しながら最低、月15万円以上送金できるのか

しかも2年間である・・・・・・・・・・・・・・・

そう約束して出発したが、確たる自信は無かった

少々事情は違うが東北の出稼ぎの人や、単身赴任の人がいる

私は本当に皆さん偉いと思わずにはおれないのである

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東京に着いたら即働かなければならない

しかし状況も見なければならない

私は千里ブロックのトラックにリサイクルショップからスピーカーを買い

取り合えず着いたら古新聞集めの「ちり紙交換」をする用意をして東京に向った

確か息子の大学ゼミの学生会からアパートの紹介をうけたと記憶している

場所は西武池袋線、新座市ひばりが丘の安アパート、田無市・保谷市が複雑に入り組んだ

所である

翌日即、駅前でダンボールを集めている思い出の女性にちり紙の集荷場や色々な情報を得

て、とりあえず走り始める

平成1918