それまでの不動産

 

サラリーマン時代は現場事務、そして家業は呉服店である

それまで50キロのブロックを扱った経験は無い

その私が約10年、力仕事をしたのである

もともと身長は160センチ足らずで50〜52`が私の平均体重である

その私が最高時60キロを記録した

贅肉は殆ど無い

現場施工時代約6年間は来る日も来る日も土方をして、そしてシャワーを浴び、ご飯を駆

け込み、そして営業である

冬場の2ケ月は殆ど営業であった

当時土木関係で私の事を知らない人がいない位である

氷見市の民間土留め工事の約60%を制覇したのである

家族を食わすための必死の戦いであった

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現在私は不動産屋である

千里ブロックに見切りをつけるまでの10年の不動産(財産)の増減その変化で私の10

年を想像ください

@★自宅横の借地と古家を買う

そして改装して事務所と車庫にする

A★自宅後ろ半分を増築し子供の部屋を作る

B★親から贈与された現在の事務所である倉庫を貸事務所に建て直す

C★十二町に土地を買い、そこに千里ブロックの倉庫を建てる

D★自宅横の事務所倉庫を取り壊し、鉄骨の貸しアパートを建築

F●貸しアパートの資金に十二町の土地を売却

(千里ブロックの終焉、手仕舞い準備)

G●建築資金に呉服時代に買っておいた朝日丘の土地は不動産に入ってから売却

以上登記簿謄本を調べれば明確になる

そんな不動産とは別に、二人の子供の大学資金までは何とかメドを立てた

しかし完全に秋風が吹いている

しかも先行きのメドがたたない

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後に語る東京行きの1年数ケ月程は、深い焦燥の日々を過ごすのである

                                                 平成1917