親馬鹿

 

ここまで仕事の事だけを書いてきた

男である私が自らの決断で離婚を選んだのである

夫婦は別れれば他人であるが、子との血は切っても切っても切れないのである

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自己を虚飾する気は爪の垢も無い

出来れば語りたくない話である、

しかし歴史に名を残す平成承禎である

淡々と事実だけを記しておこう

私は基本的に男は仕事、とりわけ男の子には親の生き様、背中で教えると思っていた

それでも親ばかである私は男の子には時間を見つけてはプールに行き水泳を教えた。

甲斐あって中学2年生の時、氷見市の大会新記録で3年生を完全に破り優勝した

また校内将棋大会で2位であった

毎日の詰め将棋をさせての結果であった

また少年野球のキャッチャーであった

よく試合について行った

そしてアメリカのホームステイに行かせた

家業の土方の手伝いもさせた

二人を学校の体育館に連れて行って親子の触れ合いもした

また私は高校しか出ていない、二人の子供には大学を行かせたい

また女の子の嫁入り道具は人並みにしてやりたい

この二つの願いは一応果たした

これでも普通の親と変わりない親馬鹿であった

父親としての役割は、一応果たしたつもりでいる

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                                        平成1915