暴風雨そのA

 

義兄は氷見を離れ小杉の県営住宅に引っ越した

それでも氷見での噂話は止みそうも無かった

義兄がどのように倒産処理したのか詳細は知らない

しかし私は氷見での仕事の情熱を失っていた

私はできる限り市外の工事を取るようにしていた

記憶では1年も経っていなかった筈である

義兄は県営住宅のアパートの一室に灯油をまいて自殺したのである

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収まりかかった倒産話が再び吹き荒れた

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私の実兄は県外、妹は市外、両親は年で車も運転できない

周囲を見渡したら、この緊急の処理に当たるものは私しかいない

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天に一人の姉である・・・・・・・・・・・

姉は父親譲りの気のいい性格である

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知らぬ顔は到底できない

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しかも火急を要する

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倒産はサラ金、死亡は自殺、火事は放火である

3重苦では無い!!!!!!!!!!

2倍の6重苦である

倒産してから事件屋、ヤクザも暗躍していた

殺人の可能性も完全に否定できない

とりあえず、火事の後始末、そして姉と子供達の住まい確保

そして葬儀の手配

義兄の弟達の意見を無視し葬儀は菩提寺では無く高岡の寺で密葬とした

!!!!!!!!!

今でも覚えている・・・法名は現世の修行が足りなかった。釈迦の弟子となれ!!!!

そんな意味の法名であった

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                                                                 平成181231