クスリの現金問屋

 

千里ブロックと並走しながら、車製品のねずみ講方式、そして椎茸販売、核シェルターと

失敗(教訓・笑い)続きである。

失敗を人生の勉強と受け取るか否かは、その人の性格によるものであろう

当時は深い反省や結果に対する分析など自分にあったのかと問えば無きに等しい

それでも、心のどこかにマズイとか、これでは家族を食わせていくには力不足の自分を心

に感じていた事は確かである

しかしあくまで上昇志向!!暗さは無かった。若かったのである!!!!!

この薬の出来事もその内の1つである。

この戦いも後の私に取って大きかった

いやS氏との人間の出会いが私に取って、それによって得たお金より何より大きかった。

話は長くなるのでなるべく簡略に話そう

S氏の別れた妻(M)が私の高校の同窓生でしかもクラブの一員であった

彼と知り合ったのはそのMとの関係からであった

SとM、別に故意に付けた訳では無い(笑い)二人の頭文字である

MがSの測量機器メーカーに勤め、Mとの再会から支店の事務所へ出入りしたのが始まり

である

そうそう千里ブロックの施工に必要な測量機レベルを買ったのがこの会社である

そのSM二人が結婚すると言う

私はMがその会社に勤める以前母親の後をMが継いで飲み屋をしていた時、一度飲みに行

った事があった。

既にその頃Mは中年の男と一緒であった

結婚前に2・3の男と関係しているだろう事は、薄々いや殆ど分かっていた

Sに余り賛成出来ない事を小声で告げた

それでも彼は結婚した

それは私が家業の呉服店を手伝い始めた頃である

SMの間に子供が出来た

そして数年後二人は離婚となった

そして彼女は京都へ高飛びした

3ケ月が経ったころであろうか、そんなある晩、高速道路の途中のインターチェンジから

電話がかかってきて、京都の男から逃げてきたので今晩泊めて欲しいという

事の緊急は察したので仕方なく泊めることにした

京都ではタクシーの運転手と一緒に住んでいたと言う・・・・・・!!!!!!

それから、10日程家に泊めてから、某市会議員に無理に頼み込み市営住宅を世話し、義

兄の会社に就職させた

記憶では義兄の会社に1・2ケ月程も勤務していたであろうか

市営住宅引き払い、義兄の会社も辞め、何の挨拶も無く再び消えてしまった

凄い女である・・・・・・・!!!!!

それ以前彼女は既に不動産取引主任者の免許を取得していた

そして私の前に再び現れたとき高岡の不動産屋に勤務していた

後この会社は倒産するのであるが、この会社の社長とも彼女は100%出来ていた

不動産会社の社長とは、相当以前からの関係ではなかったかと今でも疑っている・・・・・・・

それはSも口には出さないが同じであろう

なぜなら二人の間に出来た男の子の顔がその社長と瓜二つであった・・・・・・!!!!!

Mは別れたSに対しヤクザを使って慰謝料を取りにきた

Sは将来相続の請求があった場合DNA鑑定をすると私に漏らした

Sがヤクザや子供の問題にどのような対応したかは知らないがその後ピタリと話は止まっ

そんな事があってSと人間観,社会観、人生観を色々話す事があった

Sは血液AB型で頭がクールでカミソリのように切れる!!!!!!!!

従兄弟などに東大卒やプロ野球で活躍した選手がいる家系である

私が人生で出会った中で切れ味と言う面では、一ニを争う

私と正反対のタイプである(笑い)

この15年間、2・3度しか会っていないが、今もお互いがお互いを認め合う間柄である

Mとは何十年間会っていない

最後彼女は私に対し後ろ足に砂では無い、石を投げつけていった・・・・・!!!!!!

私の知っている限りでも7・8人の男を知っている・・・・・・!!!!!!!

最早乳母桜,物好きな男もいまい!!!!!!!7.8年前一度だけMらしい女を見かけ

みすぼらしい格好で私を見たのか後ずさりした・・・・・・・・・・・。

それはさておき、二人の離婚の仲裁に入った、

夫婦喧嘩犬も喰わぬ・・・・・・・・・何十年後の現在の私もそうである(完全な自嘲)

しかし私の性格である!!!!!!!!毒を喰わば皿までも、である

相談を受けた人間の骨までシャブリ、脳味噌の中まで手を突っ込む性格である

ホント

彼女には、はじめから問題点があった!!!!!!!詳しく話せば長くなる

しかし色々相談に乗っているとき、Sの人間性に許し難い一面を見た!!!!!!!!

私の逆鱗に触れたのである

私はその時、烈火の如く怒りSと絶交宣言をした!!!!!!!!!

君とは二度と会わぬと!!!!二度と付き合わぬと

もし私と付き合うなら1000万円持って来い

玄関の前に立ち尽くす彼を突き放すかのように戸をピシャリと閉めた

数日後、彼は100万円持ってきて、変わらぬ付き合いをして欲しいと懇願する

以後、指摘の点を改める条件で許した

二人の離婚問題に今一人、当時市民病院職員O氏のはみ出し男も加わっていた

その100万円をもって氷見の一二三亭で芸者を呼び三人でドンチャカ騒ぎ、一晩で17

万円使った

残りのお金の使い道・・・・・・・・・。

海外旅行も考えたが、O氏が重度身障者の野の草学園にどうか?!と提案した

ヨシャ!!!ワカッタ!!!!私は即座に快諾した

そのかわり、条件として新聞に一切載せない事を条件とした

当時は故斯波先生が市民病院長で野の草学園長を兼務されていた

お互いの本性をむき出しに激突した私とSとは逆に深い信頼が生まれた

ある意味彼の方が人間的に真っ直ぐかつ純粋であった

私と対極の人間である

彼は私の成長、脱皮に重要な外圧を与えてくれた

以後の人生に出会ったウワベの誠実な人間より確実に信用できる

・・・・・・・・・・・・

そんな彼が、その後○○製薬に勤めて、私に1000万用意してくれないかと電話がかか

ってきた

確かインターセリンと言う薬20アンプルが格安で手に入ると言う

自分で売り裁く自信があり、絶対に保証するから用立ててくれないかと言う

1000万円は当時の私でも大金である

しかし私は博打にでた!!!!!!!直感である!!!!信じたら信じてやろう

その場の電話で即OKを出した

妻には事後承諾となった・・・・・

しかし私は彼の鋭い頭の切れを高く買っていた

毒もある!!!!!!!!

妻を説得し、資金提供することにした

実は当時の名古屋支店長と組んで会社の薬を横流ししたのである

最終的に薬は半分の10万アンプルで資金は500万であった

仕入れ値は1アンプル55円、末端価格は135円であったと記憶している

千里ブロックのトラックで小杉のクロネコヤマトから現在の事務所である倉庫へ運び込ん

しばらくして彼は積み上げてある荷の1カートンをニ三回取りに来て、その次はそのカー

トンを開けて中の小カートンを取り出して行った

そして1ケ月半程,音信普通であった

私は不安を覚えた

頭の切れがあっても、売ると言う事は別

私は私の同窓会名簿を調べた

確かこの名前の会社に勤めた男がいた筈!!!!!!!

いた!!!!!!!!!肉屋の次男Kである

しかしKは何年か前に退職し高岡に帰っていると言う

Kと会って聞くと君は騙されたと言う

君が買った10万アンプルの量は北海道、東北、裏日本、九州まで及ぶ、全ての胃腸科病

院が一年間使用相当量であるとの話しである

また薬の場合、一般の者は薬事法で扱ってはならないと言う

私はその他からも情報を集めた

同じような答えだった

しかし私が万一の場合と保険をかけていたのは、市民病院のO氏であった

Oの家は薬店であった。薬事法はクリア

しかもOは市民病院勤務である。情報を集めてくれた

東京神田神保町に現金問屋があると言う

電話帳をくって問屋へ電話を入れる

現物が間違いないなら、盗品でも何でもOKとの事である

Sを呼んだ!!!!!!!彼はこれを売ると市場が大混乱すると内心悲鳴を上げたが

彼は私の押しに腹を括った!!!!!!!さすが男である

Sは会社を辞めなくてはならない・・・・・・・名古屋支店長は?????!!!!!!

俺、知らない!!!!!(笑い)

Oと二人で東京へドドーンと一直線

その頃最早私は千里ブロックの販売とパテント営業で既に度胸が据わっていた

数々の失敗が知らずの間に、己を図太くしていた

確か800万近いキャッシュ

腹巻にキャッシュを入れて

トンボ返りで舞い戻る

宇宙食と椎茸の穴は埋めた

その後Sが会社を辞め、薬会社を設立し自営の道に入った

・・・・・・・・・・・

振り返って人生は面白い

危険の裏はチャンスである

Sもまた波乱万丈の人生を歩む

Sとの面白いエピソードはまだ沢山ある

彼から学んだ事は多い

何時か語るときもあろう

先へ急ぐ                

                                         平成181225