食事@

 

私に取って「寶」の期間、食事は切実な問題であった

別れた妻は終いには殆んど作らない状況であった

妻は子供達に夫が趣味で遊んでいると何度も吹聴するのであった

こんな話が私の耳に飛び込んでくる

お隣の牛乳屋の社長に貴方達が主人を持ち上げるから調子に乗るのよ!

また黒川先生の奥さんに電話で、夫は働かず訳の分からない本を書いている!!と相当酷

い言い方をしたらしい!!!!!!!!!!

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奥さんは私も主人に文句を言った事があるが、あんな酷い言い方はしなかった・・・・・・・!

奥さんはそれ以上は、口を噤まれた・・・・・・・・!!!!

妻に対して私の説明不足もあったろう

しかし結婚以来何十年間、本を開いている姿を見た事も無い彼女に話しても無駄であった

ろう

何より金だけのお人であった

・・・・・当時私は完全に諦め状態であった

味噌汁が食べたいと、何度も言った・・・しかしだめであった

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それでも妻に話して一時期富山から、糖尿病食を3ケ月程取っていた

しかしこれほど味気ない食事は無い

島尾の中村記念病院にもお願いして1ケ月程糖尿病食を食べに通った

続かなくなった

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コンビ二でおにぎりを買って車を飛ばした事も数知れない!!!!!

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「寶」の闘いも酷いが、時間と病気、お金との闘いも切実であった

タバコ代にも参った

カラ雑巾を絞る

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小人と女は養い難し

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苦悩と快楽は表裏一体である。

「寶」の戦いは果てるとも無く続いていた

 

平成191117