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日本を愛した周恩来  ユーチューブ

周恩来は中国の首相である

彼は両親が幼くして死んで養父母に育てられ、厳しい幼少期を過ごしたと

ある

そして大正時代日本に留学し、大学入試に失敗して帰国し中国共産党に入党

そして毛沢東と出会い毛は戦略部門、周恩来は実務を担当する

晩年の周恩来の心の内は、複雑いかばかりであったか想像がつかない

毛沢東の妻、江青等、四人組に、彼の多くの戦友・同士が・惨い末路を辿った

そして戦友の残酷な死を見つめながら、自身も何とか生き延びた

周恩来の本意ではなかったろう

そして日中国交回復にあたる

中国側は周恩来そして田中角栄・大平正芳と日中国交回復を締結

周恩来はピンポン外交そしてニクソン訪中を実現させた

承禎は毛沢東を好きになれなかったが、周恩来とケ小平は結構好きであった

そのケ小平が天安門事件を指揮した

何かの著書で読んだが、その周恩来は毛沢東の前へ行くと、周囲もはばからず、

ビクビクしていたと云う

江青等の四人組は殺された劉少奇とおなじ、周恩来も失脚させようとしていた

らしい。

失脚は死を意味する。

毛沢東が止めたらしい

江青は若き頃、上海の映画俳優であった

その当時の映画監督やライバル同僚の役者も全部殺した、

林彪も自爆した

中国の権力闘争は日本の比ではない。

周恩来も危うかったのである

毛沢東の主治医がアメリカに亡命して、毛沢東の裏の顔を暴露した

そして主治医は暗殺された。

中国の歴史書と共に、多くの近代史も読んできた

そうそう中華民国建国の父孫文も日本に留学していた

台湾の李登輝総統も京都大学に入学していた

「寶」解明の段階で、こんな周辺の著書も相当読んだ

台湾自由時報の張さんも京都大学

こんど、承禎が会う予定の台湾元首相謝氏も京都大学である

謝氏は台北大学の法学部を首席で卒業し京都大学の法学部も卒業している

日本の東大法学部をトップで卒業したと同じである

すなわち台湾一の秀才である

光栄と共に、恐ろしい話である

ホント

平成31325