桜美林大学・野口名誉教授A

 

恐れ多いお便りであった

私はその後先生にはジックリ「寶」本をご検分いただくため、お便りを控えていた

一年近くと記憶している

もっとかも知れない?!

その間「日本道教学会」と一回目の戦いに突入していた

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野口先生は道教学会の会長を歴任してこられた

私は密かに学会に対しての切り札として先生にお便りしなかった

そしてある日突然先生に電話を入れた

そして私は“先生もう宜しいでしょう、学会の理事会に諮ってくださいませんか?!”と

いきなり切り出した

唐突な電話に先生は“分かりました”と答えられた

そして先生は日本道教学会に「寶」を諮るべく足を運ばれたのである

その時の会長が筑波大学、○池信夫氏であった

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その後、野口先生から力及ばずとの陳謝の手紙を戴いた

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そのお手紙は、何箱もの段ボールの底になっている

それも遠くない日に掲載するであろう

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そして、離婚、家業の再建に忙殺され、6年程の歳月が流れた

学会の会長は○池氏から龍谷大学の都○会長に代わった

今年3月戦いを再開した

漢文化の歴史を覆す世紀の「寶」発見である!

私にとって、大先生であろうが、どなたであろうが、歴史を開く“生贄”である

「寶」本に異論反論が無いから野口先生が学会に足を運ばれたのである

!!!!!!!!!!!!

二流の学者では「寶」は見えない!!!!!!!!

野口先生には深い御厚情を賜った

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                                                 平成19118