松族と黄土からの一考

 

「寶」本の最終章で、人類の謎を解き明かした

解き明かした自分自身茫然自失であった。

日本の国土の1,7倍ある中国の黄土高原が丸裸の禿山になった原因がこの「寶」の為を

解明した。

神器「寶」は、世界の国宝を眼下にする人類史上未曾有の至宝であった。

神器「寶」焼成により、黄土高原の不毛の大地となった事を解明した

世界中の学者関係者のご意見をお聞きしたい。

200%間違いがない。

もし、正面から異論反論を唱えてくる学者がいたら、満天下に己の無知をさらす結果とな

るであろう。

過去約35年間「寶」本に異論反論をしてきた、学者は一人もいない。

個々の学者、関係者70名以上、4550名の大学教授、助教授・大学院生が参集する四大学

会が完全沈黙である。

それはさておき、万里の長城や始皇帝の兵馬俑など、人類史の謎でもなんでもない。

2000年ほど前、黄土高原は松科の大森林地帯であった。

松の仲間は、エゾ松・赤松・黒松・トド松・五葉松、とど松、落葉松、白松など多様であ

る。

松科は基本的に北半球に自生する

シベリアのタイガーは松科の大森林である。

そして松属の種子は風散布型で、風で遠くへ飛ばし、種族とテリトリーを増やす

シベリアから飛ばされてきた松属は黄土高原の地で大王国を誇っていた

そして黄土高原には中国原産種である白松も王国を築いていた。

シベリアから長い年月を費やし飛散して来た松属と白松は混在し、黄土高原は、世界一の

松族の大森林地帯となった

その黄土高原の松属が50万の節度使軍団により30年を日本の国土以上の面積の黄土高原

を費やし丸裸にしたのである

あらためて、松属を考えてみる

二度訪れた天橋立の松林を考えると、養分ゼロに近い砂地でしかも幅50mも満たない両岸

から海水が浸透する砂地で高さ10メートル前後の大木となる

しかも松は、自分のテリトリーに他の樹木の侵入を寄せ付けない

氷見市の松田江浜を見ても分かる通りである。

松の根は砂地這って横に根を張るのである

そして這った根があの大木を支えるのである

砂地には殆ど養分が無い。

恐らく自分の枯れた葉が養分になるのであろう

松は自分で自分を養うのである

ひ弱な人間や現代の若者は松属を観察して見習わなければならない。

松科は何故葉がツクツクの針のような葉なのか、その理由が分からない。

サボテンの棘はあの果肉を食べられまいと、進化したものであろう

松の枝の棘から、体内である幹に、素早く水を取り込む為の策と思われる。

松の棘は太陽に向かって、半分は上向きである

さすれば上向きの棘から素早く雨水を取り込める

たぶんそうであろう。

承禎は植物学者でも何でもないが、兎に角、松属は不思議な樹木である

松の木の皮に当たる、分厚く纏(まと)った、皮は松の木の鎧兜(よろいかぶと)と云っ

ていい。

そのパズルのようなゴツゴツした不規則に張り付いた鎧の合間からも雨水を取り込むので

あろう

まさに体全体から雨水を取り込んでいるのである

そしてあの大木になる

松の木の樹液に松脂がある

油性の脂(ヤニ)、松脂である

松脂の油性で海水を受け付けないのであろう

魚と同じ鱗と魚の皮と同じく、松の木の鎧の皮に、海水の塩分を樹木内に取り込まない

イオン隔膜法の性質が備わっているのであろう

そして雪などの重みで枝が折れたりした場合、樹脂で傷口を塞ぎ、腐食を阻止する

驚きは、養分ゼロに近い岩場にまで松はしっかり根を張って生きている

高岡の雨晴の男岩・女岩にシッカリと松の木が自生している

その典型が中国、世界遺産武陵源の岩場には何万本の松が黄土高原から飛散し生息してい

る。

まさに、松科の脅威である

考えれば考える程、松族は、不思議な樹木である

中国では古来より松を描いた山水画は多い。

そして、中国では古来より松族は百木の尊者と云われている

その松族の中で白松は松科の聖者と云われてきた。

その中国古来種白松が今日、絶滅危惧種となっている

松の木の根は、中国の史書「淮南子」に“天地の気”とある。

即ち天地の気とは陰陽の気です

その白松の木の根で神器「寶」を焼成したのである

昨日28日の南北会談のセレモニーに「平和と繁栄の象徴」として松の木の植樹式典があ

った。

その松の木が松科の何という松なのかインターネット・新聞で名前を調べたが載っていな

かった。

画像の幹の色を見て、白松なのか赤松なのか特定はできなかった

いずれにしても、南北共々松は古来より特別の樹種なのである

日本における中国史研究者は現代医学同様、各専門分野に分かれ、歴史全体を究明するに

至っていない。

驚くべきことである。

1300年前の唐代の歴史の全体像を観るには、陶磁器・陰陽五行思想・節度使制度の配置と

人員・黄土高原の環境の変化・松科の知識・正倉院などの渡来文化、その他あらゆる分野

を総合的に大観しなくてはならない。

勿論・睿宗・玄宗・安禄山・高力士・楊貴妃・杜甫・阿倍仲麻呂・吉備真備・光明皇后・

孝謙天皇などの人物像と歴史を重ね合わせ、その流れも観なくてはならない。

まあいずれにしても、日本における中国研究者の、水準には驚かされた。

孫子の兵法、“敵を知って己を知って戦えば百戦危うからず”である

中国研究がこの程度であれば、日本の命運は危うい

歴史の研究からそれが見える。

驚きしか無い。

平成30427