東京にて

 

上京する前、中学時代の同級生のM君が来店した

彼は進学校の高岡高校から大学へ進んだ秀才であった

私はそのM君に、同窓生の日経新聞社のI氏を紹介していただいた

日経新聞のI氏は、文化部の確か部長あった

私は東京本社の日経新聞社を訪ねた

折りしも彼は中国宋代の皇帝、徽宗について半ページを割いて記事を載せていた

全国紙の半ページしかもカラーページであった

彼は私に誇らしげにその紙面を見せてくれた

同級生の紹介である。好意的その彼に、社内の喫茶室で「寶」を見せた

しかし彼は「寶」にも、そして私の説明にも余り興味を示さなかった

一流新聞社の文化部のトップ級といっても、サラリーマンである

命を懸けて生きている自営の我々との、違いを確認した

目線が違うのである

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致し方なかった

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私は何かをもとめるように日本橋の骨董店、たしか「不言堂」?と言う名の店の暖簾を

くぐった

社長の主は不在で、そこの若社長(30代前後?!)が対応に出た

まだ修行中の身の若社長から台湾故宮博物院に2点程の陶印があったとの貴重な話をうか

がった

しかし、目に止まる程の陶印ではなかった!との話であった

「寶」を披露したが、このような立派な陶印では無かった!と漏らした

好奇な目であったが、それでも輝くような目線では無かった

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今となっては、遠いオボロゲなである

平成19115