承禎の死生観

 

人生観・宗教観を書いた

人生観と宗教観を書いたら、両方に横たわる死生観に触れておく。

死生観を論ずる時には、当然対比する「生」と「死」を考えなくてはならない

一定の年齢になって死を意識し見つめない生は、色あせた生である

人間が生きている状態は、生理学的に脳と心臓が動いて、呼吸をして体内の血

が流れていなければならない

心臓が動いていても生きる死屍もいる

生きているがただ点滴で生きている

これは、医学的には生きている状態であろうが、

体が生きていても、生きているとは言い難い

尊厳死を支持する承禎としては、医者倫理、生の尊厳を盾看板にする詭弁の延

命治療と云いたい

脳死状態は果たして生きているといえるのであろうか?

生産性ゼロ状態・喜びも、悲しみも、感動も、状況の認識も、親族他者の識別

も、ゼロ状態は生きていると云えるのであろうか

本年おきた、看護施設の大量殺人の若者をどう裁くか、老後破綻・無縁社会・

ポケモンとマンガ社会・現代混沌病に付き突けた深刻な事件である

それはさておき、「死」を考える時、死の定義も必要である

死の状態は、呼吸と心臓と脳・血液の流れが停止した状態で有る

肉体の停止は自然科学的には故人の時間が停止した状態で有る

周囲の時間、世界の時間、宇宙の時間が一定に動いているのであるが、個人の

時間は停止し進まなくなった状況で有る

生理学的死と、時間と云う物理学的概念の停止と、一致した時点が個の死であ

ろう

生きている人間で、本人は生きているつもりでも、承禎からみたら生きていな

い、死んだ人間も相当数いる

生物学的には普通どおり生きていると思われるが、人間的には、無目的、生き

る意義、生かされている意義も自覚しているのか、はなはだ疑わしい人間が大

勢いる

ジャングルの多種多様な動物は、種の保存、生きる為の生存闘争が殆どである

生きている意義をおのれに自問自答して生きている動物は皆無であろう

同じようにパチンコで狂奔する人間も殆どそれに近い様に見える

ようするに動物と違い生きている、生かされている自分を自覚しない人間は、

生きているとは言い難い

三度三度のご飯を食べ、小さな小さな刹那的快楽に一喜一憂している人間

そこに真に「生」を自覚しているとは思えないのである

「生」を自覚していない生物は「死」の意味も自覚しないと思うのである

逆も真なり、である

ジャングルの動物は「生」の意義も「死」の意味も「自覚」の無いままに生き

死にしているとおもうのである

それらの動物と同じように、自覚なしに地球上にただ排泄物を撒き散らしてい

るだけの生物人間もいる

自分も毎日酒を飲んで、どれだけ社会に貢献しているか?

自分の飲む酒の量とタバコの本数と、仕事の成果と収支決算すると、最近は赤

字ではないかと汗が出て来る

そうそう思い出した

孔子が子弟に云った「生さえしらないのに、いずくんぞ死を論じられない」

と述べたと云う、まさにそうである

死を論ずる時「生」を知らねばならない

生を死に物狂いで生きてこそ「死」の存在が鮮烈に眼前に現れる

生と死は表裏一体、背中合わせの時空なのである

先日、知人にこんな人生観、死生観の原稿を書くと云って、今、沼田に足を捕

られている

よくよく考えると自分が忙しいのか閑なのか考え込んでしまう

忙中閑有り、これも表裏する

故人の生産活動が停止した状態を医学的に「死」と認定する

それに問題を投げかけた著書に、立花隆氏の「臨死体験」があった

世界の数多くの臨死体験を載せて死後の世界の存在を暗示させてあった。

自分の身近な知り合いにも2人、臨死体験をした人いて話を聞いたことがある

自分はそのような経験はないが、二人の経験談が真に迫り、納得した記憶が有

世界の宗教は死後の世界を仮説する

それは、信者を獲得するための、強力な宗教的創造世界とも思える

臨死体験や幽霊の世界、また宗教の死後の地獄・極楽世界とは別に、自分は死

後の世界を全く否定できないのである

宇宙の始まりが、イギリスのホーキング博士が提唱するビックバーン説を支持

したとしても、それ以前は、説明がつかないのである

ギリシャ神話にある、神の宇宙創造説が脳裏から排除できないのである

生死を論ずる時、時間の問題を無視できないのである

個人にとって死は時間の停止である

しかし時間は個人を置き去りにして、何事も無く時間は進む

宇宙誕生以前に時間はあったのか?

時間は物質なのか?時間の速度は一定なのか?時間は光なのか?

詳しい内容は忘れたが東大のある博士が著書に書いていた「象の時間と蟻の時

間」、子供の時の時間と、大人になった人間の時間の違い

時間の概念は未だ世界の物理学者も明確に答えを出していない

死は、別宇宙へのタイムマシーンの扉ではないか?

数年前の宇宙理論にチャイル宇宙・マザー宇宙などが載っていた

中国の古壺宙の世界もある

承禎は、はなはだ楽観主義者、夢想家である

現代宇宙理論の外側、この大宇宙の外側へ「死」の瞬間、異世界宇宙の扉が開

きタイムトンネルを抜けるのではと、楽観している

しかし誰もがいける訳ではない、

それを選別するのが、天地創造主と夢想している

それはさておき、時間の密度の濃い人、目標、生産性の高い人は生き生きとし

ている。

しかし時間を無為に過ごす人は、時間も長く、いわば生きる死屍である。

自分は「寶」解明の終盤戦、総天然色七色カラーでしかも七色が金色の夢を見

た。

そしてさらに超不思議な神がかり的心霊体験を2度も体験している

であるから、死後の世界や、4次元・5次元世界を否定できないのである

そうそう理数系頭脳の知人が、人間が死んだら物質に帰り、あとは何も無い、

そんな無機質な考え方に、異論を述べたいと、思ったのが、この原稿の始まり

であった

自分は不動産屋である

もし、自分が「寶」と遭遇せず「寶」に時間を取られなければ、恐らく金沢あ

たりでビルの5つや10位は楽に建てていたであろう。

現実に金沢移住計画を立てていた時期があった

しかし「寶」解明に突入した時、自分は中国の孫子を思い出した。

孫子は、自軍を大勝利に導き、その恩賞に国土の半分を皇帝が譲ると云ったが、

孫子は断ったとの逸話が残る

孫子は栄耀栄華より「孫子の兵法書」を書く事を願い出て、宮廷を退出した。

そして完成した孫子の兵法書は世界のバイブルとなり、現代もいや人類が有る

限り何千年も読み続けられる名著である

すなわち孫子は死しても生き続けているのである

承禎の「寶」本も、孫子の兵法書、同様何千年も生き続けると確信をしている

「寶」解明は、天命宿命で、天が命じたと今も信じている

「寶」解明は気の狂う程の壮絶な戦いであった

8年間睡眠時間3時間半、酷いときは2時間30分が3・4ケ月続くのが3

あった。

59キロの体重が最後47キロであった。

そしてその後も18年以上戦い続けている

スナックのママ2人が当時を振り返って、死ぬかと思っていたと回想した。

ビルは100年も持たない、お金・貴金属などの動産は三代の相続税で無くなる

「寶」解明時、まさに死生一如、生死のギリギリの細道を爆走していた

死後数年たって死後の世界から帰って来た人は知る限り皆無である、死後の世

界は余程、楽しい世界なのであろう

死後の世界は未知の世界である

承禎は死後の世界を楽しみにしているのである

であるから、死後の宇宙の道を、迷わない為に今生で出来る限りの知識を貯め

込んでおこうとセッセと読書している

そういう未来志向でいきていると、残りの人生も楽しくなる

死生一如・「生死」表裏一体で、生きるとは死ぬこと、死ぬとは生きる事でもあ

人生は楽しい

以上

平成281125