ゼロの概念

 

ヒマつぶしに零・ゼロ・〇を考えて見よう

ゼロの概念を発見したのがインド人と昔読んだ

ゼロとは何か???????????

ゼロとは無なのか

空なのか

無は空なのか

空は真空なのか

漢字の違いでも分かる通り、無は空では無い

誰かが云っていた「無」は「無」にあらず虚無の無にあらず

無は質量無限大の無、空では無いと云う

空は虚なのか

「虚々実々」

虚の漢字に口を添えると嘘(うそ)になる

虚言である

真実・実体のない事を虚像・虚言と云う

ゼロは数学的にはマイナスとプラスの直線状の中間点、真ん中に位置する

マイナスとプラスの最小値の地位、数学的にはど真ん中、中央、玉座、王者の位置である

中国思想から観ると陰陽の分け目

承禎が「寶」解明の途上で発見した印鑑の実相「無」と「虚」と「実」の世界の「虚」に

あたる

死はゼロなのか

自分が死んだらゼロになるのか

自身の思想に実が有った場合は、死んでからもその思想哲学は生きる

たとえば、吉田松陰しかり経営の神様といわれた松下幸之助しかりである

その精神は死してなお、日本国民の中に生きる

形あるものは、ピラミッドで有ろうが、万里の長城であろうが、何十万年後には砂の粒と

なる。

諸行無常である

死は肉体的に〇となっても精神的には〇では無いのである

無限大とは限りが無い事を言う

限りがある事を有限と云う

物理的現実世界はゼロから始まる

物差しにゼロが無いと困る

ゼロは始発点なのである

ゼロの概念を考えたのがインド人との事で有る

バラモンや仏教のなどの宗教観から生まれた諸行無常の概念が物理的ゼロの概念を生んだ

のであろう

これ以上は思考の停止、ゼロの無限空間、ブラックホールに落ち込む

こんな事を考える承禎は余程ヒマなのであろう

毎日酒飲んで、この厳しい現実世界で、仕事らしい仕事もせずに、こんな事に時間を費や

我ながら呆れる

それでも「寶」を待つ間、何かをしていなければ、ストレスがたまる

過去の何十人の女性も「寶」の生け贄、人柱である

人柱もゼロでは無い

承禎の心の中に永遠に生きている

今日もまたゼロを考察して、話がトンでも無い方向に転化した

脳味噌が万華鏡、海老の脳である

以上、今日はここまで

平成28329