喜○嶋○と大沢氏問題・その二

喜○嶋と大沢氏の事件についてもう少し自分の考えを述べておきたい

DNA鑑定で100%実子では無いと完全否定された

大沢氏の涙を必死に堪える、苦悩は察して余りある

彼の苦悩は★アメリカにいる男の子に対する断ち難い情であり、★怒りは喜○嶋の嘘に対

する憎しみである

それと★若さゆえに犯した自分の罪に対する無念さと、★虚構の歳月、失った年月への恨

みであろう

それらの★★★★慚愧に堪えない無念が、空(くう)を仰いで慟哭を耐えているのである

承禎の過去の暗黒は大沢氏の比では無い

それでも大沢氏が心の安寧を得るには遠い

若い男は本来、性交の瞬間、良い子供を授かる様にと祈って射精する男は殆どいないだろ

性欲の本能、動物と殆ど変わらない行為である

昔から、男からは子供は「夜なべのカス」とまで諺(ことわざ)にある

それでも恋愛に陥り好きな女性との子供を願う

男としての自覚としては個々に差はあろうが、間違いなく女性より低いのは間違いない

女性は男性と違い、性交渉の後に命がけに近い出産が待っている

性行為に関する重大さは男性と比較にならない

しかし女性と違い自分の思想哲学、考えを継承しない子供は自分の子供とは云えないのが、

男親の本質であろう

女性は本質的に思想哲学が狭窄(きょうさく)で希薄な生物である

引きかえ男性は女性より一般的に思想哲学が広く深い動物である

それゆえに悩みも深いのである

喜○嶋が関係した男性は10人前後らしい

草食と肉食を両面持ち合わせ、これだけの美貌と男を虜(とりこ)にする淫乱な女狐なら、マ

ア男が群(むら)がるのも致し方無い

あらためて芸能界の男女の相関と実体に驚かされる

嘘が発覚し芸能界を喜○嶋は引退するらしい

当然であり、それしか道は無いだろう

神が与えた自らの特性を生かしアダルトビデオにデビューするか?!

それとも若き頃奔放な生き方をした瀬戸内寂○のように仏門でも入るしか道は無い

「知らぬが仏」と云う諺がある「知れば地獄」である

大沢氏はまさに「地獄の扉」を開いたのである

中国道教では女性の生殖器ホトを「玄牝の門」「衆妙の門」と云う

まさに地獄極楽の門である

アメリカにいる喜○嶋の息子の本当の父親がDNA鑑定でもし完璧に分かったとしても、そ

の男性は認めないであろう

18歳まで何の接触も無い男の子を自分の息子と認知しないのは当然であろう

馬鹿でないかぎり、世の男性は認知しない

生物学的に100%自分の子であっても、育つ過程での自分の思想哲学が全く投影されていな

い情愛ゼロの実子を、認めないであろう

DNA鑑定も受けないし、認めないのもごく普通であろう

舞と関係した男達にとっても、青天の霹靂(へきれき)、降って湧いた嫌疑である

従軍慰安婦や売春婦から貴方の子ですと迫られても、認める男はいないだろう

中国残留孤児の場合は何歳か一緒で情を注いだ記憶があるから、認めるのである

それすら、諸々の事情で認めない、いや認められない人達もいる

そうそう明日おも知れぬ命、死を覚悟した昔の武士や軍人に妻や子供を持たない

稀な武人がいた

それだけ男性にとって女や子は悩ましい存在である

地球の半分は女

子供は地球生命の希望

「子は鎹(かすがい)」「勝れる宝、子にしかめやも」

反対に古人曰く、頭痛の種、今生の悩みである

それにしても喜○嶋のアメリカに居る息子さんにかける言葉も無い

自分がその子の立場で有ったら、精神の着地点が見当たらない

自分の存在意義、存立基盤が無い

母親は淫乱婦、自分を捨てた人非人、妖怪、父親は不明

・・・・・・・・・・・現実と精神と折り合いがつかない

立っている足元が崩落である

無限地獄・・・弥陀の救いにすがるしか無い

喜多嶋は自分の分身である実子とどう対峙するのか

どう説明するのか

まさか言い訳に聖母マリアを引き合いにだすのか?

いずれにしても地獄の修羅場が待っている

・・・・・・・・・・・・・

承禎は無限地獄の連鎖を断ち切った

色即是空である

・・・・・・・・・・・・

現代の若者は、思想哲学の脆弱、希薄、甘タレたモノが多い

自分自身を喰わす能力の無いモノが、一人前の口を聞く

真の苦しみも、忍耐も無いのに、恨みと理屈だけは一人前である

仕事柄そんな若い男女を何人も知っている

日本全体が狂っているのである

男も女もマトモな人間が少ない

引きかえ、最近素晴らしい生き方の日系人と出会った

生活保護者やホームレスなど甘えの集団である

承禎でもその人に遠く及ばない

本当にマイッタ

自分はまだまだ甘いと深く反省させられた。

日本国に生れて感謝である

いずれにしても、子の事件で、風化した傷口が少し疼いた

チットムキになって、つまらない原稿を書いた

平成271211