全国美術館会議議長

大阪市立美術館蓑豊館長

 

紹介の順序は逆である

文兆堂、西田氏を紹介の前に大阪市立美術館蓑豊館長を紹介せねばならなかった

それは良いとして、私の「寶」解明の道へ走らせたと言って過言で無い蓑豊氏を紹介しよ

大阪市はアメリカ・シカゴ美術館の東洋部長であった蓑氏を大阪市立博物館の次期館長と

して招請したのである

これまた不思議な出会いである

当時私はなにげなく、NHKのテレビを見ていたら蓑氏(当時の肩書き副館長)が出演し

ておられた

そして蓑副館長がアメリカ帰りである事を知った

私は蓑館長がアメリカ帰りでなかったら、間違いなくコンタクトを取らなかったであろう

私は今も昔も役人とは肌合いが全く合わない!

商売の関係で役所へ何度か足を運んだが、どうも役人とは合わないのである

役所の人にすれば、身を守るのと、法律がある・・・当然なのである・・・

私のセッカチと法律の範囲を逸脱する考え、また段階を踏まない行動・・・・・相手にす

れば困惑以外の何ものでも無い・・・・当然といえば当然なのである

恐らく11月頃から、再び学会との戦争が始まるであろう・・・・・筑波大学の堀池氏と

の確執も半分は私にも責任があるのであろう・・・・・

今ひとつ、公的美術館に問わなかったのは加藤唐九郎の「永仁の壷」事件、また「ガンダ

ーラの釈迦像」事件が私の記憶の中にあったからである

公的博物館、美術館の関係者はサザエの蓋、間違いなく公式鑑定は下さないであろうとハ

ナカラ考えていた

     ・・・・そんな思いと考え方はこの年になっても、直っていない・・・

セッカチで厚かましく!単純バカでありながら執念深い、それでいて淡白、明け透け、警

戒心を抱かない!大胆で無防備、それでいて猜疑心が強い、わけのわからない自分に自分

で呆れる

それは横に置いて、兎に角私は相手がどんな人であっても物怖じしない!そして厚かまし

私は翌日即、大阪市立美術館に電話を入れた

そして翁から命脈を託された「寶」「瑠璃の壷」を見ていただく事に成功する

セッカチな商売人である、翌日即大阪に車を飛ばした

初版本そして改訂「寶」本でその場面は紹介してあるが、今一度記しておこう

初対面の蓑さんであったが偉ぶらず本当に気さくな人柄であった

蓑館長は「寶」を見るなり、開口一番、焼成可能!とまさに断罪した

私は呆気に取られた

そして、自然石とは断罪しないが、その可能性も否定できない!との言葉を継いだ

蓑館長の興味は「瑠璃の壷」に注がれた

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

蓑館長のあと、西田文兆堂の社長も焼成不可能・・・・・

     ・・・・・・・・・・・・・・・

私は益々この「寶」に底知れぬ思いを抱くのであった

今年四月、蓑氏はニューヨークサザビーの副社長就任のため日本を発たれたそうである

私はその数日前この改訂「寶」本をお送りした

機上で「寶」本を読んでおられる筈である

平成19916