某氏に宛てた書状

<剣聖・斉藤弥九郎と観光氷見の一考察>

 

お約束した、氷見市が生んだ幕末の剣聖斉藤弥九郎についての、愚生の考えを述べさせて

いただきます。

大兄の卓見どおり、氷見市が生んだ英傑は日本を代表する実業家浅野総一郎と幕末〜維新

に活躍した剣聖・斉藤弥九郎の二人であります。

ご存じの通り、浅野総一郎は薮田の山崎健氏の大車輪の活躍により、今では神奈川県そし

て川崎市商工会議所などとの太い交流が生まれ、新幹線開通により、さらに大きく加速さ

れ夢と期待は、大きくなるばかりで有ります。

愚生は近年色々日本各地を旅行して思うのです。

旅行のお目当ては、景勝や特産品、またご当地グルメは勿論でありますが、それ等よりも、

訪れたその地の歴史・文化・芸術が、より深く記憶に刻まれる事を、身をもって確認いた

しました。

土佐なら坂本竜馬・長州山口県は吉田松陰・会津は白虎隊・福島は野口英世、薩摩なら西

郷隆盛、愛媛なら坊ちゃんの夏目漱石と日露戦争の秋山兄弟そして正岡子規、北海道なら

クラーク博士などであります。

氷見市の百年・二百年の観光を考える時、間違いなく浅野総一郎と斉藤弥九郎の二枚看板

です。

残念ながら常々思うのですが氷見市の市会議員は視野も狭く教養も本当に低いと云わざろ

う得ません。

誰一人、郷土が生んだ偉大な歴史遺産である剣聖・斉藤弥九郎を活用しようとは致しませ

ん。

ご存じの通り斉藤弥九郎の道場「練兵館」は、桃井春蔵道場と千葉周作道場よりも上の江

戸一番の道場で、門下生は3000人を擁していたとも云われ、師範代はあの有名な長州

藩の桂小五郎もその一人です。

斉藤弥九郎の息子新太郎が長州藩に(おもむ)き、藩の10数人の腕利き全てに打ち勝った結果、

江戸藩邸は斉藤門下となりました。

明治維新の元勲たちが幕末で一番強かったのは、千葉や桃井では無く斉藤弥九郎で二番目

が長男新太郎との回顧録が残っております。

弥九郎は儒学・兵学・馬術を修め、さらに幕府の西洋銃隊の調練や江戸湾防備の砲台を造

るその功績は、「お台場」の地名として今も残っております。

練兵館は剣術だけでなく学問も重視し、長州だけでなく新撰組、水戸の志士まで魅了させ

たと云う

そして討幕で活躍した幕末の超スター高杉晋作や幕末の三傑桂小五郎・井上(かおる)(外相

相)品川弥二郎(内相・宮中顧問官)・伊藤博文(総理大臣)その他、錚々(そうそう)たる門下生を指

南し、薫陶(くんとう)を与えた。

即ち、斉藤弥九郎は徳川幕府の幕引きと明治政府を開く真の立役者なのである。

また、弥九郎は藤田東湖・佐久間象山・江川太郎左衛門等とも親交が有り、今年のNHK

大河ドラマの吉田松陰も頼ってきたとの事です。

明治時代、坂本竜馬は幕末時に活躍した100傑の中にも入っていなかったそうです。

その竜馬を土佐新聞が連載し、そして司馬遼太郎が「竜馬がゆく」で一躍全国メジャーし

たのです。

遺品や資料に事欠かず、北方謙三や百田尚樹氏などの著名な作家にNHK大河ドラマにな

る程の、斉藤弥九郎の大河小説を書いてもらえば、竜馬をしのぐ幕末の全国スターになる

のは必定であります。

その斉藤弥九郎の銅像は今では氷見市民ですら訪れる人も少ない朝日山公園の一隅にあり

ます。

「旧海鮮館」の周囲か、解体予定の「市民会館」跡地、また「ふれあいの森」かは、市民

の賛否に委ねるとしても、市民と観光客にアピールできる最も相応しい場所に移設し、観

光氷見の全面に押し出す事が喫緊の課題です。

大兄も御存じの通り、道場「練兵館」は靖国神社本殿横です。

靖国神社は国会議員はじめ全国から年間何百万人が参拝に訪れます。

その靖国に朝日山から移転するとき、(かたど)った同じ銅像を靖国神社の同意を得て道場跡に

立するなら、全国から氷見市が注目されます。

さすれば本年北陸新幹線と能越自動車道の開通です、浅野総一郎と合わせ関東圏から更に

氷見市が注目され、危惧される通過の観光地ではなく歴史と文化の街として氷見市がより

脚光を浴びる事は必定です。

またフレスポで一年に一度、斉藤弥九郎杯、中学生北信越剣道大会が開かれております。

現在も神道無念流の道場は埼玉市大宮にあります。

銅像移設建立が成ったなら、除幕式に桂小五郎や高杉晋作・伊藤博文その他の幕末の子孫

また山口県知事等々を来賓に招き、埼玉の道場師範を招き記念模範大会を盛大に開催する。

さすれば浅野総一郎と神奈川県との大きな絆が出来たと同様、安倍総理の郷里、長州山口

県との交流がスタートできます。

新幹線が福井から大阪全線開通する頃、大きな、大きな夢が広がります。

金言に「お金を残すは下、仕事を残すは中、人を残すは上」と言います。

氷見市の青少年が郷土に誇り持ち、そして自信と夢と希望を与える、それこそが氷見市の

何百年に亘る、真の活性化であります。

愚生は斉藤弥九郎の銅像を朝日山から海鮮館周辺移転費を算段師に見積もってもらった事も

あります。(約350万)

また署名簿を1000人集めて所持しております。

浅野総一郎の銅像も実現したのです。

●●市議が市議会で呼びかけ、広く市民から浄財を集めるなら、実現は可能であります。

さらに朝日山の銅像の銘文を引き継ぐ十二町の吉川神官にも、運動の発起人に名を連ねる

了承を戴いております

また高岡の司法書士の斉藤弥九郎の子孫にも了解戴いております。

以上大兄が押す●●市議がこの大事業に取り組むなら、斉藤弥九郎の生地仏生寺のみなら

ず氷見市民から圧倒的な支持を得られ事は必定であります

何時でも集めた署名簿を●●市議にお渡しする所存です。

何故自分でしないかとの疑問があると存じますが、愚生には、もっともっと大きな命を賭

けた戦いが有り、その為、時間がありません。

それは同封の執筆に8年その後日本中の学者・学会と戦って来た、拙著「寶」本の仕事で、

御賢察願います。

以上、寒中一入のご自愛と御健勝を心よりお祈り致しております。

                                 不乙

平成27125