「宗久庵」村中氏

 

「寶」と出会ってから約2年程、機会を窺がっていた私である、

しかし翁になかなか切り出す機会がなかった

そんな心に村中氏が「寶」購入の決断を促したのである

村中氏は昔、新港寺塚原でレストラン「剣」を経営しておられた当時からの知り合いであ

った

その後骨董商に転業され、骨董の世界で交友を深めた

そして村中氏所有の不動産の仕事を幾つも仲介させていただき、現在もお付き合いをさせ

ていただ
いている

村中氏も趣味が高じて遂には本業とされた方である

真面目なお方で正統派の骨董商である

幾つかの骨董市を紹介いただいたり、富山県刀剣協会に一時期入会させて戴いたのも村中

氏のお誘いからである

不動産業は表の顔、骨董は裏の顔どちらもプロと自負していた

村中氏とのお付き合いで行動の範囲は著しく広がった

骨董商に来る客は、お金の余裕のある人ばかりである

そしてそれらの客は当然普通の人より情報豊かな人達である

そしてあらゆる面で目線が高い

私に取って、骨董屋さんは大切な情報源でもある

また骨董市は、それこそ経済のバロメーターをはかる重要な場所なのである

当時の私にとって本業の不動産業とは切っても切れない表裏の関係なのであった

いずれにしても村中氏も、「寶」への道のりに、目に見えない大きな運命の役割を果たして

戴いた

私は若手の不動産屋に時々話すのである

「たかが陶磁器されど陶磁器」その価値評価が分からないでは盲目に近い

その価値は百円ショップの茶碗から「寶」まで、果てしない価値の開きがある

バブル崩壊を喝破し、完全事業転換を図ったのも、陶磁器を見る鑑識眼の賜物と思ってい

別れた妻は、骨董に暗躍する私を子供達に、道楽、趣味と吹聴していた

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私は子供2人を大学にやらねばならぬ、そして家も建てねばならぬ、・・・まさに生きる為

に寝るのも惜しんで走り回る、八面六臂、大車輪の日々であった

・・・・・女、子供に理解できる世界では無い

黒川先生、Y社、M・博氏、広瀬氏、村中氏 西田氏、故荒勢氏、中村先輩、人のめぐり

合い全ては「寶」の道であった

平成19826