黒川先生D

 

黒川先生の奥さんの話を少ししておこう

黒川先生の家は喧嘩ヤマ(山車)で有名な隣町、高岡市伏木である

そして不動産業以前、先生の家は魚屋さんであった

一年に一度の喧嘩山のお祭り日は、親戚の人も手伝いに来て、お祭りの仕出し料理の準備

とその配達で猫の手もかりたい程の忙しさであったと言う

そんな日に黒川先生は仕出しの配達に行ったきり、帰って来ないと言う

帰って来ない原因は、生涯のライフワークと決めた万葉歌の調査であったと言う

家は親戚も子供も総出で、テンテコ舞いである

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そんな過去の話をしながらも先生の万葉へのロマンに理解をし、笑って昔話をしてくださ

った

何度もお宅にお伺いしたが、人の悪口をついぞしたことのない、明るい奥さんである

そんな奥さんに私の別れた妻から、「寶」執筆の苦言の電話が掛かって来たと言う

その奥さんが、詳しくは話されなかったが、「私も夫にかなり酷い苦言を呈したが・・・

高木さんに申し訳ないが奥さんのような、あんな酷い言い方はしなかった・・・・・・・

と漏らされた

まして初めての電話で他人にあそこまで言った事など無かったと・・・・・

私もお金欲しいけど、チョット酷すぎる・・・・・・・・・

それ以上は押し黙られた

奥さんが私に内容を話さない程、聞くに堪えない内容と私は察した

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私は、・・・・それ以上聞かなかった

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それ以前先生は氷見の図書館に立ち寄られた時、時々事務所に立ち寄られた

しかしその電話以後、図書館へ来られても事務所に立ち寄られる事は殆どなくなった

そしてゆっくり取り組まれと、夫婦の間柄を気遣かわれた

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お金が全ての人生、そして周囲の知人、我が子まで欺く・・・・狡猾、邪悪な嘘つき、

酷い酷い女であった

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遁走して6年、全てが露見して、自分の着物、洋服、バック、靴、宝石、家具、電化製品、

計約2000万、そして思い出のアルバム、亡き母のたった一枚の形見の写真すら取りに

来れず、現金有価証券約一億持ち去って、今も身を潜めている

お気の毒・・・・・あわれなお人である

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もっともっとあとに、それらを語る時もあるであろう

今は思い出したくも無い

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「寶」解明の戦いは、眼前の龍、後門の虎・・・・時間と体力、そして守銭奴との戦いで

もあった

                                          平成1997