「寶」解明の序曲(十一)

 

「寶」本の初版が平成9年1月5日です。

初版に約3年を要したしと勘案(かんあん)すると平成5年〜6年頃であろう。

今から約20年前程である。

これまで報告したとおり「寶」解明執筆の準備段階はほぼ終えていた。

明確な意志ではなかったが、それでも「寶」解明本を書く欲望は無意識の底で渦巻いてい

たのであろう。

バブル崩壊(ほうかい)と叫ばれ始めたのは私が「寶」執筆に本格的に突入する二年程前の平成4・

5年頃と記憶している。

私の第六感、嗅覚(きゅうかく)がバブル崩壊を完全に予見していた。

私はそれまでお隣の市の高岡を主戦場に不動産の仲介をしていた。

もしバブル崩壊が始まれば仲介の取引は一挙に減少する。

それを補う賃貸業務の収入は当時、全体売り上げの2割程度であった。

私は主戦場を高岡市から私の住んでいる氷見市に完全移動を決断した。

そして仲介業務から賃貸への事業転換を決断したのである。

まさに180度の転換であった。

当時高岡に所有していた3ケ所の不動産をまず処分した。

そして、売り払ったお金で氷見市のアパート購入に成功する。

そして株に熱を上げる妻に3度、全ての株を成行きで売却するよう迫った。

しかし無駄であった。

賃貸業務は女性の仕事である、これも強く抵抗されたが、私はそれを押し通した。

そして当時積水ハウスの所長と共同戦線を張り、氷見市のアパート建設を徹底して推し進

める事にした。

その無意識の底には「寶」執筆解明が渦巻いていたのです。

同業他社はまだバブルに酔いしれていた。

私は着々市内の空き家、古いアパートなどを次々に管理および準管理下にした。

「寶」に本格突入する頃、 市内の70%の賃貸を手中に収め。賃貸路線は確かなものに

なっていた。

僅か1年半程の期間で成し遂げた。

「寶」解明の体制はほぼ構築された。

それでも私は「寶」突入期間の、年間の最低限の利益目標を設定した。

それは平成12年度以外、どんなに時間がなくても達成した。

私の読みドンピシャであった。

日本経済は、私が執筆中の7年間、一度も上げることなく加速をつけて奈落に向かってい

た。

天は私に全てをお膳立てしてくれた。

私は遂に「寶」に突入するのである。

   

平成19225