「義」

『壬生義士伝』上下2巻本当に喘ぎながら読み終えた

著者浅田先生がこの小説で何を言わんとしたのか、何を読み手に話したかったのか、それ

が私には鮮明には伝わってこなかった

その分、読み進むのが辛かった

たしかに、新撰組の隊士の面々間、また一人一人の生き方の中に、それなりの大義や信義・

仁義・道義などが描かれてある

しかし新撰組を壬生浪と言うくらいであるから、寄せ集めに近い集団である

赤穂義士の場合は目的が明確で判りやすいが、動乱時代の寄せ集め義士(浪士)と赤穂義

士との違いが、私を疲れさした

義に大義・仁義・信義・教義・道義などが思い浮ぶがそれも小説の中では鮮明さに欠けた

義にある正義を取り上げたものでもない

吉村貫一と大野次郎衛との義兄弟・義理の関係も私には今一歩伝わってこなかった

壬生浪達は論語の「義を見てせざるは、勇なきなり」にも少し遠いような感じがある

「義」は儒教の仁・義・礼・智・信にある五常の一つである

主人公の吉村貫一郎の「義」の根底が家族にたいするもので「義」の原義、大義・信義・

教義、正義などから遠かったことも私を疲れさせた

岩手と言う、まだ旅したことのない東北である

原風景が私には遠い

現代は義の希薄な時代である。私もまた義の希薄な人間である!だから疲れたのか?

蛇足をつけ加える

「義」の漢字は「我」の上に「羊」部を戴く、羊は古代、山の神への捧げもので

美しいの意味を内包する

「義」の下支え「我」を「人」または「大」に置き換えれば「美」の文字となる

「美」の中央は「王」その冠、二画は日月を秘める

毛筆で二画を書くと、向って右が「日」左が「月」筆力の違いでその位置が明らかとなる

これがホントの蛇足

最後まで「壬生義士伝」は疲れたが時代を見る中味の濃い著書に間違いは無い!

薦めの書としておこう

平成19820