死について

 

去年から今年にかけて、かなり身近で知っている男二人が孤独死をした

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誰に看取られるでもなく、逝った

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記憶では43才と50才で二人ともアパートで死んでいた

二人とも諸々関与があって、警察その他、後片づけに大変であった

悶死、死臭が今も残存する

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死について色々考えさせられる

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私の頭の中に毎日とは云わないが、死は頭の片隅に絶えず有る

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死の向こう側を見て来た人は誰もいない

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残ったものは、その骸(むくろ)を確認するだけである

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死は単なる無なのか???

永遠のテーマ―、

人間の悩みは、深刻かつ果てしない

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孔子の弟子が死について尋ねた

確か孔子曰(いわく)「我未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らず」である

聖人と云われた孔子ですら死を語って無い

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地球上の生物は一匹たりとも死から逃れられない

鶴は千年、亀は万年と云う

寿命が最長と云われる海亀で250才らしい

人間の最長は125才が限界と云う

最近の長生きの男で90才とすると、指折るとウーーーーーーーーーーーーーーーン、

である!!!

しかも5年は、痴呆が入ると予想される

マイッタ

それでも、冷徹に現実を直視しなければならない

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昔、立花隆の数々の臨死体験が載っている著書を読んだ

また身近な幾人かの人に臨死体験を聞いた

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それは別として我々は死を自分で自覚できない

生命体である肉体の細胞が活動を停止した事が死であろう

自分自身は死を確認できなくとも、周囲の人間はその人の死を100%確認できる

その人が死んで、周囲に多少の変化はあっても、時間と共に平常を取り戻す

そして時間は変わることなく前へ進む

「無情」で「無常」、常ならむ!!!

であろう

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死と生は表裏一体である

「死」を意識しない「生」は空虚とまでは言わないまでも、間違いなく生に対する真剣さ

に欠ける

人それぞれに、死生観は色々である

したがって納得と満足も千差万別である

承禎は????

今を全力で生きて

知的在庫を満載して

異次元の世界へ

タイム・スリップである

!!!!!!!!!!!!

 

平成2565