そのE「ワープロ」

 

背に腹は変えられぬ

必要は何とかの母である

ワープロを覚えるしかなかった

文明の利器、機械ほど苦手なものは無い私である

機械関係とは相性が悪い、だからパチンコもしないのである

もともと欲の深い完ぺき主義者である、薄い小誌で満足する私で無かった

小誌はほんの手始め基本設計みたいなものであった

その小誌の段階で既に「寶」が中国5000(一般に学者は4000年としている)の未曾有の

至宝である事を喝破したのである

この小誌のままで終わる訳にゆかないのは当然であった

兎に角そんな時、誰かがいらないワープロを私にくれた人がいた

箱型の旧式のワープロであった

使ってみて文字が訂正できて、文章が途中で差し挟まれるのである

この時ほど文明の利器に感謝した事はなかった

キリストの光が差し込んだようで、思わずオーマイ・ゴットと叫んだ

以後、東芝ルポ、2台買う

完成までにワープロ3台が廃棄され、現在はノートパソコンを使っている

原始人がパソコンを使っているようなものである

自分でもよくぞここまで来たものだと呆れている

ただただ、執念だけである

平成19715