今日まで私同様、姉も波乱万丈の人生を歩んできた

30年程前に夫は事業の失敗と言うよりか、自ら自爆して逝った

当時約7億5000万円の借金の返済に窮し、自らその責任をとって自殺した

金額は確認した数字ではなく、周囲の人間からの推測話である

今なら20億位の金額で、氷見市始まって以来の倒産金額であった

しかも義兄は建設と大手の会社に人足派遣をしていた。

その実、本業はサラ金業であった

今なら出資法違反、多くの人間から資金を集め、その金でサラ金をしていた

出資者も見返りに法外な利息を受け取っていた

私にも出資を誘われ、400万程一時貸した事はあるが、私は早々に一線を引いた

必ず行き詰まると確信したがである!

いずれにしても義兄は氷見市の多くの人に多大な損害と迷惑をかけた事には間違いない

当時姉は暴風雨に翻弄される木の葉の状況であった

2人の兄妹は市外で、周囲を見渡したら、その姉を助ける者は私しかいなかった

両親は高齢でしかも運転が出来ない!

義兄は今の射水市の公団住宅で焼身自殺したのである!

その義兄の後始末に、私は丸半年以上忙殺された

警察の現場検証、消防署の対応、密葬の段取と葬儀(菩提寺以外のお寺)、

仮住まいの段取り、転校の手配、公団の後始末(20回程通う)相続放棄他法的処置、

〇銀行と事件屋の対応、そして金沢への再移住、転校手配、その他

事件屋は私をアパートの一室に連れ込み海に沈めると脅した!

別の事件屋が手形を見せて迫ってきた

姉を救いたい一心で私も必死であった

事件屋との戦いも大変であったが、何より世間体をはばからず、私の指示に従わぬ親の

頑迷さに参った

いずれにしても私は、10年近くしていた千里ブロックの本業も同時期、廃業する方向

にした

その頃日本列島改造の熱気も冷め、土木の仕事の先行きが怪しくなっていた!

飲み屋へ言ってもどこえ行っても、氷見中義兄の話でもちきりであった

そのため、私は完全にやる気を失ってしまった

私の知人の何人かも損害を受けていた

しかし誰一人私には義兄の事に触れた人間はいなかった

私が義兄と一線を引いていた事を皆知っていたからである

そしてその一年半?後程に私は鍼灸師を目指し東京へ向うのである

振り返って思うに自殺、火事、倒産、3つが同時に降りかかった非常事態の後始末をした

ことが私を強くした!

それらの事は、このHP「熱風録」18〜21「暴風雨」に記した

7・8年後、今度は姉の長男がサラ金に手を出した

当時はまだバブル期、妻に内緒の金(250万円)を姉に渡した

姉が女一人で10年近くかかって貯めたお金をサラ金に全て吐き出した、

そのため心理状態が不安定であった

姉の二度の窮地を私は助けた

その姉が、妻が遁走した後の私の、絶体絶命の窮地を救った

姉が駆けつけてくれなければ、倒産イコール自殺になっていたかも分からない

その事は「熱風録」93番「再生再建そのA」に記してある

姉も私も波乱万丈の人生を歩んできた

気がつけば、兄、妹が亡くなり腹違いの姉を除けば二人だけになった

姉の娘は嫁ぎ、息子も今は母親を助け元気に働いている

娘は着物の着付け日本一の栄冠に輝いた

姉は義姉とともに金沢からかけつけ90歳を超えた母親の世話をしてくれている

私にとっては天に一人の姉である

嵐のような人生、全ては定めと思う今日この頃である

平成19622