写生大会

 

勉強は不向き、運動もダメ

習字もダメ(小学校時代赤の銅賞1回だけ)

賞状は夏休みのラジオ体操の参加賞

それと6年間の皆勤賞のみであった

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生きる支えが無いに等しい

女の子に誇れるものがない

ムムムム

あった!私は絵が得意であった!

記憶では小学1年〜5年生まで全て賞を貰っていた

取り分け4年生か5年生の時、金賞のそのまた特選の値する絵を書き上げた

私の金賞の絵は他の金賞の絵が外されても、半年近く廊下の掲示板に特別に張り出されて

あった

場所は朝日山公園、絵の具で杉木立の間から見える立山を描いた絵であった

写生時間が終了しても、私は一人残ってその場で描いていた。

自分でも満足した絵であった

その絵は私の手元に帰って来なかった

いまでもあの絵の行方が気にかかっている

絵自体も小学生の絵ではなかったような気がする。それほど、気に入った私の力作であっ

しかし6年には既に性格が禍、色気が芽生えて横道!

絵が得意であったのは父親が3・4歳の頃、武者絵を描いて私に手本していた

そのせいかであろう

しかし祖父も父親も母親も只の一度も勉強しろとは言わなかった

一度だけ漫画ばかり読んでいると頭アホになると言われただけである

不思議である

それにしても、よく考えると父親も私に大切な事を無言で教えていた事がこの歳になって

分かる

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絵が得意で、ノートに恐竜の絵を来る日も来る日も描いていたのを思い出した

そんな絵心も骨董や絵画に向いた伏線であろう

幼児期の出来事が人生に多大な影響を及ぼす!!!

恐ろしいほど、道理が道理となって現れる

イバラノ道であったが、今になって、自分に合っていた人生と結構満足している

平成19612