祖父の思い出

 

私はこのHPを書きながら小さい頃の色んな事を思い出している

そして両親が私に全く無関心でなかった事が今になって良く分かる

戦後の厳しい時代で父母は二人で高木家を立て直すのに殖産振興良く働いた

両親は勉強では無く、私には取り分け家の色々な手伝いをさせて、躾けた事が良く分かる

釜のご飯焚き、家業の炭の配達、集金、その他

落ち着いて勉強する子では無いと、見抜いていたのであろう

だから、兄姉妹と引き離し、私一人だけ祖父と寝起きさせられた

祖父も私に厳しくでもなく、甘やかすわけでもなく、淡々と躾けた

両親は兄弟姉妹の中で私が一番ヤンチャで扱いにくかったのであろう

それで祖父に私を預けたのであろう

祖父は村役場の書記官を定年まで勤め上げたそうである

最近近所の叔父に私の知らなかった祖父のあれこれを聞いた

一時期代用教員もしていたとの事であった

私が物心ついた時、既に働いていなかった

私は長く働いた事が無い人と思っていた

寝起きする居間の壁に分厚い本が並び、結構読書していた

また室町時代の作と伝わる、阿弥陀如来が入った仏壇を守っていた

祖父は禿げ頭であった。一二度三つ揃いの背広に帽子を被った姿を見た事があった

祖父の生家は豪農であった

祖父は被っている帽子は前に落とすものでなく、後ろに落とすものと祖父か?訪れる人か

誰かに聞いた!

それ程普通の人と距離を置いていた

我が家は落ちぶれて町に出てきた

それでも祖父は着物姿で威厳を落とさずどっしりしていた

私にボンボン時計のネジ回しの役目を躾けた

また夏の蚊帳吊りとたたむ役目を躾けた

そんな祖父に習った事の一番は囲碁と碁並べであった

囲碁は上達しなかったが、碁並べは上達し最後は、祖父を負かしていた!

高校2年の時であった

まさに大往生、大きなイビキをかき、眠るように亡くなった

祖父は私が生まれて初めて、臨終に立ち会った最初の人間であった、

苦しみなど全く無く、死とはこんなものかとおもった

不思議と悲しみも何も沸かなかった

祖父は蔵も建った我が家の再興を見届けて逝った

平成19613