時間と選択

 

時間の概念の科学的根拠は未だ明確になっていない!!!

また深刻に考えると厄介な哲学の深淵に迷い込む

例え科学的根拠を示されたとしても、時間を感じる個々の人間の

時間の受け止める長さは別々であろう

子供の時間、働き盛りの大人の時間、人生の黄昏の時間

楽しくて楽しくてならない時間

苦しくて苦しくてならない時間

面白くて面白くてならない時間

退屈で退屈でならない時間

苦痛の永遠性と一瞬性

それは快楽にも言える

人それぞれに時間の受け止め方が違う

振り返って長く生きていると時間の長さが違うのが分かる

しかしまた、感情を離れると科学的一定の速度も理解できる

また、悪い頭で考えるには時間を直線で考えると単純である

宇宙が何時まで膨張するのか、既に縮小に転じているのか、分からない

そのような事は、観念的科学の世界である

しかし個人にとっての時間は完全に有限である

仮に人間の最長寿が、125年が限度らしいから、

125年×365×24時間=1095000時間である

寿命の折り返し点を過ぎてしまっている

そうすると残り547500時間である

分換算すればその60倍である

貯金をはたいているようなものである

いずれにしても、一時も時間は休まない

制御もできない

時間をどうする事もできないなら

自分で時間の有効性を高めるしか術はない

時間の密度である

処が密度を高めれば高めるほど時間が早い

そして密度が濃すぎて疲れてもいけない

彩(いろどり)と緩急をつけた時間が大切である

時間の節約には少々のお金も必要である

それと自由と柔軟な頭が必要である

絶えず、日常の事象・事象に的確な選択判断が必要である

アミダ(阿弥陀)クジをぬっているようなものである

それでいて、目標を見失わないようにしなければ、人生はつまらない

ただ美味しいものを喰って、旅行してそれだけで満足して一生を終えるのは、

実にもったいない

マア満足感は各々個人差があるのは致し方無い

私には何に目標を置くか、何を成してゆくか?それが問題である

それが天から与えられた時間と受け止めている

そうそう「象の時間と蟻の時間」をテーマに研究している東大の先生がいた

無益に近い研究である

マァ藤原先生が云うにはそれが学問らしい

確か故松下幸之助は全財産と引き換えに今一度時間が欲しいと書いておられた記憶がある

自分に問えば、まだ答えが出来ていない

書くことが無くなったから、あての無い無駄な原稿を書いている

時間の無駄か!

原稿の先行き不安

オシマイ

平成23105