読書と記憶について

 

自分では過去漫画も含めて約4000冊は読んだと勘案している

私が過去に一番本を読んだのは今からやがて30年程前です

一日7冊読破を己に課して、片端から読んだ経験がある

しかし、実際には7冊はしていないだろう

7×365=2555冊となる

現実には一日平均5冊前後、約1500冊ぐらいであろう

今でも覚えているのは最後山岡荘八の「徳川家康」全巻を一日1冊づつ読み終えて終了し

それでも果たして、私の頭の中にどれくらい残っているかと考えるに、正直カラッポの答

えが返ってくる

その後も読書は心がけてきた

私の場合は勉強や単なる知識を得るための読書ではない

それは全て生きるため家族を食わすための読書であった

知識不安症、貧乏性のようなものである

ホント

ビジネス関係や時事問題の書籍を読んでないと時代に取り残されるような焦燥感に襲われ

そして「寶」解明、執筆にも狂ったほど関係本を読み漁った

本を書いた人でなければ分からないが、地下水脈に一定量の知識がないと本は書けない

マア私の地下水脈は、古井戸のように枯渇してしまっている

後にも先にも「寶」本で最後である

これ以上書くと恥を曝すから、このHPで遊ぶ事にした

それにしても最近自分の頭はどこか人と違うのではないかと、思う時がある

脳味噌があるのかと疑問に思うときがある

記憶力が人より極端に低いのではと不安に思うときがある

その証拠に電話番号とか人の名前が覚えられない

自分の携帯電話の番号を覚えられない

過去女性の9割の名前を覚えていない

顔と艶かしい肢体は鮮明に覚えている!ムムムムム(ホント)

どうも、私の記憶装置は脳ではなく、体の皮膚細胞にミクロ的に分散されてあるような気

がする

誰かが私をETと言ったが、最近その気になってきた

やはり頭で覚える勉強は学校の勉強

体で覚えるのは社会勉強

とりわけベットで覚えるのは“生きた課外授業”

今本を読んでいるのは社会の補修授業みたいなもの

学校時代勉強できた人は、豊年早稲、盆栽型

私は晩生(おくて)オホン

何でも都合の良いように考えるのが上昇志向

何かまた脱線、横道に逸れた

平成19426