竹トンボ・飛行機飛ばし

 

 

思い出した順に書いているので、年代が錯綜している

ご了解願いたい

さて、紙飛行機、飛ばしは良くしたが、何時までも熱中する程のものでも無い

それでも一時期、休み時間になると教室中に飛行機が舞っていた記憶がある

同じく竹とんぼも一時流行った

市販のもあったが、それでは飽き足らず竹を切ってきて自前で作った覚えがある

それはサトシが率先して始めた記憶がある

続いてエイジ・ヒデカヅ・ヨチ、皆自作して競争した記憶が蘇ってきた

小刀でプロペになる羽根削り、軸棒は竹ヒゴを作り、錐で穴をあけ

セメンダイで隙間をフサグと仕上がりであった

空中へ飛ばす遊びは、自然の成りゆきである

最後は、更に発展してヒコーキを作り、飛ばす競争が流行った

南小学校の前の橋野と云うお店に組み立ての飛行機が売っていた

おもな材料は竹・木・紙・ゴム必要なものは接着のセメンダイとノリである

皆上手に作った

私は 工作が苦手であった

出来ないことは無いが、説明書きを読んで手間隙かける作業が苦手であった

兎に角セッカチな性格なのである

それでも、皆が作ってくるので、何とか一機だけ作った

完成の喜びより、面倒な気持ちのほうが強かった

だから他の仲間は2・3機もっていたが、私は一機か二機だったと記憶している

はじめは、バランスが悪く自爆が多かったが、何回か飛ばして翼を前後に調整する

プロペラを指で廻し、ゴムを巻く

しまいに、自動ゴム巻き機をエイジか誰かが買った

翼の調整が上手くいった、ゴムを限界近く強く巻く

飛んだ、飛んだ、飛びすぎて、校舎の屋根を越えて飛んでいった

屋根に引っかかったのであろう

愛機は消えた

それで私のヒコーキ遊びは終わった

それ以上作る気が起きなかった

性格は今も禍している

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平成211218