HP製作

 

再建の目玉は何と言ってもHPの開設であった

時代の要請、大手との戦い、

当然であった

絶対に負けられない

亡き大兄の愛娘カナちゃんにHPの基本設計を依頼していた

その続きを出入りの鍵屋の山崎さんに短い期間手伝ってもらった

しかし私の要求の多さに即、音をあげて降参・・・・!!!!!!!

そこへ姉の孫、亮が入社した

即刻亮と私のテキサス・デスマッチが始まった

亮は土木会社に2年程勤務していただけでパソコンの操作もまだ充分に習得していない

それでも問答無用、私の要求は過酷を極めた

HPをご覧いただければ分かる筈である

私は現在もインターネットの事を良く知らない

それでも現代パソコンの全機能は私の要求ぐらい,満たしてくれる筈と頭から決め付けてい

満たせないのは、担当亮の技術的問題!!!!!!!!!!!!!!早く追いつけ、私は追いまくった

頭の中はパニック状態であったろう

それでも辛抱の強い亮であった

一時点滴を打ちに病院に通っていたらしい

また、長時間のパソコン操作で、パソコン病に陥ったらしい

それでも私は尻を叩いた

最初の不動産のHP容量が多くなって、開示が遅くなった

「主承禎」のHPと分ける

そして更に「寶」のHPにも取り組む

二つの表紙画面は全て私の構想である

そして委細かまわず、亮に実現のための要求を迫る

氷見の黒澤明である

微妙微細かつ徹底的であった

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造るなら日本一のホームページを目指す

かくて3本のHPは今日に至った

再建と睨み合わせての戦いであった

製作から3年であろう。

その間私も毎日毎日原稿を書いた

不動産だけを売る時代は終わったと私は思っている

ポリシー哲学を売る時代と捕らえている

私として10年先を観た戦いと考えている

楽しく面白い、そして少しためになるHPを目指した

現在は80点ラインで、多いに満足している

亮はライセンスこそ持たないが、今ではハード面では相当なものである

ランキングも全国のホームページのトップレベルの筈である

困っているのは私の原稿が多くてパソコンの容量が追いつかないことである

パソコン会社が私のような欲張りを想定していなかった事が原因と私は思っている

最早第二「主・承禎」HPを考えなくてはならない

「寶」本からみればたいした事は無い、それでも亮は良くがんばってくれた

追記

18125日現在

「三陽地所」のHP468頁・「寶」HP330頁・「主・承禎」は1028

合計1826頁と言う

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

深い深い自負がある

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平成19126