「神武天皇」

資料・その一

     神武天皇像となった真因と、台座にある乃木希典「永芳」について記しておこう

学習院院長であった乃木希典は氷見郡から銘盤の揮毫を頼まれた時、氷見郡は大和の時

代より万葉集に「比美」と歌に詠まれ、他と比べようもないくらい美しい土地で、神話

と伝説彩られた町であることを承知しておられた

そのため「永芳」は、神話の時代より、久しく、歴史の“香る”町として揮毫された

と聴く

賜った揮毫により朝日山公園は開園時、名称は「永芳公園」であった

 大正天皇が皇太子の時、富山県に行幸された、その記念に現在の朝日山公園が開かれたと

市史にある。

また戦後・昭和天皇も巡幸され、朝日山公園に歌碑が建ててあることは周知のとおりです

私事ながら、戦後の昭和21年頃より朝日山公園の真下、現朝日本町(上日寺参道沿い)

に住み、子供の頃、朝日山公園の神武天皇像背後に建つ「忠魂碑」の招魂祭に祖父に連れ

られ紅白の幕を張り巡らした祭礼に参加したことを今も鮮やかに覚えています

仏生寺村役場の書記官をし、一時期、代用教員もしていた祖父から銅像建立の起因と「永

芳」の由来を幾度か聞かされていた

祖父の話しでは、氷見市には、大境の洞窟、朝日貝塚、柳田古墳(現布尾山古墳)そして永芳

公園もその一つであり、氷見には神代の時代から幾つもの史跡や古墳があり、神話や伝説

に彩られた郷土と聴かされた

薮田地区の垂姫伝説も祖父からで、祖父はまたその祖父から聞かされていたのである

朝日山の上日寺も奈良時代に建立され、日本でも有数の名刹であり、当時既にこの「比美」

に仏教が伝わっていたのである

また室町期、上日寺の僧であった能面師、氷見宗忠の国の重要文化財に指定される幽玄の

能面は氷見に伝わる神話と伝説が投影されたと聴く

日露戦争の戦勝の像ならば、明治天皇の像か乃木希典像また、旅順での軍旗を掲げる像で

もよかった筈である

当初は日本書紀や古事記に遡る神話の時代の武人像を依頼し、建立時金の鳥は無かったが、

制作にあたった大塚秀之丞は明確に神武天皇像をイメージして制作したのである

明治43年四月3(春季皇霊祭日)の完成祝典には神武天皇像として仰いだ。

まさに この氷見市に日本一の神武天皇像を建立したのである

朝日山は北陸の名刹、上日寺の雲上の高台に建立したのである、単なる武人像では不遜、

不敬である。

現在神武天皇像横にあった「朝日山太神宮」は廃舎され公園駐車場となっているが、元々

旧町役場近くにあった天照皇太神を祭神する伊勢神宮奉賛会の布教宮で公園開園に合わせ

て移転したものである

忠魂碑とこの日本国初代天皇である神武天皇像を鎮護祭神する意味合いは明々白々である

即ち神武天皇が建つ朝日山公園一段高台は朝日山太神宮の神苑なのである

神代の昔から神話と伝説に彩られた比美の地である、日本一の神武天皇像を氷見郡あげて

完成させた尚武会の労苦と関係者の叡智に深甚の敬意を払わずはおれない

 

資料その二

①当初、公園の名は「永芳公園」とよばれていた

  名称の由来は神武天皇像の正面銘盤に刻まれた乃木希典の「永芳」の揮毫によるもので、

氷見郡松本於莵が上京して賜った

     神武天皇像は日露戦争の戦没者に対する忠魂の象徴として明治41年に建てられた

     建立により明治43年、氷見郡の戦没者招魂祭を執り行っている

       銅像の設計に大塚樂堂氏が携わる

       鋳造を高岡の喜多万右衛門があたる

現・釜万鋳造株式会社・喜多信行社長・高岡市金屋町1-47

       総監督は工芸学校長青山盈斅氏

       朝日山開園と銅像建立には氷見郡の「尚武会」が中心的働きをした

そして県参事会員・金谷太次郎・県会議員睦田捨一氏()が代表して各方面に働きかけた

とのことである

   中心的役割を果たした尚武会は在郷軍人会の前身であるが、当時の武道連合会で現在でいうなら体育協会である

⑧ 公園の桜の苗木、紅葉苗等々は青野善造の寄付である

 

<神武天皇像・添付写真留意点>

     写真④階段両脇の明治海軍のマークの入った台座に建立時、大砲の砲弾1個ずつ飾られ

てあった

     神武天皇台座、両側面・背後、写真⑤⑥⑪の記述銘盤が剥がされ無くなっている

(★②③は恐らく終戦時GHQによる取り壊し命令を逃れるために取り外したものと推測

される)

     写真⑩銅像周囲に鉄柵があったのがめぐらされてあった筈であるが現在は無くなって

いる。

尊像は第二次世界大戦時に、神武天皇像であったがため、醵出を免れている

 

 

 

 

神武付属資料⑤

     朝日山公園観光案内板パネルにこの神武天皇像が“古武士”と記されてある

信じ難い光景である

     これは小中学生の卒業式に国旗掲揚を反対する市職員組合、教職員組合の影響も想像さ

     れるが、いずれにしても市当局のあまりの杜撰さに言葉を失う

失礼千万であるが議員諸氏は伴食宰相と謗られても致し方ない

朝日山公園を開き、忠魂碑、そして日本一の神武天皇像を建て、朝日太神宮を建てる

市史には獅子舞が勇壮に舞われたと記す

まさに今日まで氷見郡~氷見市までの歴史を振り返っても、これほどの大事業はなかった

であろう

その神武天皇像が古武士とは・・・・中心となった尚武会の方々はじめ、郡民挙げて建立

したその尊い魂を踏みにじる暴挙である

これでは日本一の神武天皇像を観光資源として全国に発信することは出来ない

また、未来を担う子供たちに、郷土の歴史も語れない

氷見市の盲目のトップリーダー諸氏に猛省を促したい

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以上これにて、垂姫伝説と布尾山古墳そして神武天皇を結ぶ神話と伝説の町の完結といた

します 

                                                                                 平成21926