●慧眼「氷見うどん」海津憲次氏と

              氷見観光百年の体系、完全合致

    海津憲次氏の強い要請により調査開始

●史料提供小境 巽巳和氏       

 

最終51弾・復権「神武天皇像」

 

氷見市民が親しむ朝日山公園は、明治41年市街地を一望する

朝日山の丘陵地を整備し開
園された県内屈指の名園である

その朝日山公園中央に堂々の威容を誇る日本国初代天皇である

「神武天皇像」は市街地、
そして富山湾を一望し、対岸の雄大

な立山連峰望む、絶景の高台に建立されている

この朝日山公園は春爛漫の桜咲き、秋は紅葉を楽しむ、市民が

等しく誇りとする名園てす。

その公園のまさにメイン・シンボルとして、神話と伝説に彩ら

れた神武天皇像が眩しいば
かりの威容を放ち聳え立つ。

この日本国の初代天皇である「神武天皇像」がなぜ建立なったか、今日その詳細(添付資

料@)を知るは少ない

銅像台石正面に刻された「永芳」の揮毫は、日露戦争の陸軍大将で、当時学習院院長の乃

木希典の書である

また銅像原型は富山県工芸学校彫金科教師、大塚秀之丞先生の不朽の名作である

全国で確認される神武天皇の銅像はインターネットで調べると(添付写真)、この銅像を入

れて八体です。

その群像の中でも地表から10メートルの威容を誇る、神々しいまでの尊像は、他を圧し

群を抜いている

また全国には、戦国武将、偉人、軍人、政治家、文豪・俳人その他、故人の偉業を称える

銅像は全国に何百とある。

その全国の数多の群像と比較しても、像の威容、威厳、崇高なまでの尊像は全国の5指に

数えられ、しかもそれらと次元を異にする、雲上の尊像です

さらに立山連峰から昇る朝日を浴び、比類なき景勝の高台に建つ、堂々たる尊像の総合観

点は、まさに神話に彩られた日本国初代天皇像に相応しい、日本一の銅像と云って過言で

はありません。

記録にはこの神武天皇像は日露戦争の慰霊碑として当時の氷見郡の退役軍人会である尚武

会が中心になって建てられたと市史は記すが、なぜ日本国初代天皇である神武天皇像と選

定されたのか、当時の建立に尽力した有志等の真意も風化し(付属資料@微かな口伝に

頼るしか術は無い

平成20年は、銅像建立100周年であった

その為(添付写真)、銅像台石の銘盤その他、建立時の祖形から失われた付属遺産も少なく

無い

終戦時のGHQ、幾度かの地震災害、戦後の思想の激変など100年の風雪が、尊像にも

明らかな影を落とす。

しかしながら観光資源が氷見市存立の礎石であり、全国に誇るこの日本一の尊像に、市当

局また商工観光関係者の視線は余りにも低く暗い

そのことに、深く思いを馳せ、埋もれた遺稿を掘り起こし纏められた史料を提供戴いた市

小境の巽巳和先生に深く敬意を表するものです。

この原稿は氷見市活性化の最終提言であります

最終案にあたり、敢えて一言申し上げたい、この氷見市が全国に誇る日本一の神武天皇像

が、貴重な観光資源として生かされているとは、到底云い難い。

あまつさえあろうことか、公園内観光案内板に“古武士”(写真添付・資料A)と表示され

てある

建立に奔走された明治の先人達の、祈りとも云える願いを、冒涜するものであり、憤激に

耐えない

盲目とも云える市当局、商工観光関係者および、全ての諸団体各位の猛省を促したい

 

平成21923