斉藤弥九郎銅像移転署名願い

氷見出身で全国的に通用する立志伝中の傑物とし

て、幕末維新の剣聖斉藤弥九郎と近代日本の祖、

浅野総一郎の二人であ
ることは論を待たない。

幕末の剣聖、斉藤弥九郎は神道無念流で門下生

3000人余
を擁し、桂小五郎や高杉晋作等の

維新の志士を輩出し、明治
開国の礎を築いた。

昭和44年、斉藤弥九郎の歴史に果たした偉業を

称え、堀埜市長はじめ関係者の尽力で氷見市朝日

山 公園の一隅に銅像(添付の写真)が建てられ

 た。

当時は朝日山公園が設置に相応しい場所として建てられたが、昨今訪れる人も激減し、銅像の存

在に、市民ですら忘れ
ておられる方が少なく無い。

心ある市民の間で、その銅像を別紙地図に示した「ふれあい森公園」に移転すべきとの声が日増

しに大きくなっている。

その移転要望の声を集約した。

<朝日山公園の問題点>

@日山公園は、春の花見シーズン以外夏秋は訪れる人が激減し、冬場はゼロに等しく銅

像が市民また市外観光客の目に触れることが一年を通して極端に少ない。

A     朝日山公園中央高台に建つ雲上の「神武天皇像」が威風堂々聳え立ち、偉大な弥九郎の

銅像が霞んで見える。

B     また建立されている場所は朝日山公園敷地全体の中の脇地とも云うべき一隅で、公園を

訪れる人の7割は設置場所に足を運ばない。

<「ふれあいの森」添付地図設置利点>

@「ふれあいの森」は近年造営された新しい公園で、公園自体に風格や重量感に乏しく

   公園の核となるモニュメントが無い。

   そこに歴史に登場する斉藤弥九郎の銅像が移転されれば、公園に風格と重量感が一挙に

備わる。

A現在ふれあいの森で観光客に胸を張って説明できる、シンボルが無く、市民広場的公園

に止まっている。

Bまた既にふれあいの森への道路は氷見高校を経由した朝日山公園への誘導路も兼用し、

市内外の人また、観光客に目に止まりやすい。

Cふれあいスポーツセンターには、武道場があり中学生の斉藤弥九郎杯、北信越大会が毎

年2月開催され、道路沿(添付写真)駐車場は移転場所として好条件の場所と考えます。

Dまたフレスポでは全国中学校ハンドボール大会他、市内外の各種イベントが催される。

また各種屋内スポーツ施設も充実し、市内外の人が利用し、より目につきやすい。

 

<上記以外の理由>

@一般家庭でも、絵画や掛け軸、また銅器の置物、庭の燈篭など、そのモノの用、価値の

大小により、設置場所に相応しいかどうか考えるのが普通である。

その順位や的が得てない場合、屋敷全体の調和、品格が損なわれる。

現在の設置場所は、公園の片隅であり、窮屈感がある。

偉大な斉藤弥九郎の銅像設置場所として、当を得ていない。

能越自動車道が全線開通すれば、観光客の2割〜3割和倉や能登に奪われる恐れが叫ばれ

ている。

「ふれあいの森」は朝日山公園とセットで、海鮮館周辺と並び、本来は氷見市の観光のメ

インスポットです、観光公園として品格の整備点検が急務である

Bなにより、氷見市の活性化は未来を担う青少年にある。

その青少年が胸を張って誇れる歴史的人物は、斉藤弥九郎と浅野総一郎である

浅野総一郎の銅像は山崎健氏はじめ有志の尽力で建立なった。

  剣聖斉藤弥九郎の銅像が日の当たる場所に移転なれば、浅野総一郎の銅像とともに 氷見

市の青少年に勇気と誇と大きな夢を抱かせるであろう。

A最後に銅像移転は浅野総一郎の銅像建立と違い移転費用だけで、緊縮財政の市の状況下

にあっても、当局の決断一つで実現可能な範囲です。

少ない費用で、観光面と青少年に与える多大な夢を考えるなら、他の諸事業より優先順

位は論を待たないと考えるものである。

以上の理由で市民の皆さんの多くの署名をもって市当局に働きかけ致したく衷心より

お願いする次第です。       平成2186

       世話人準備会有志一同