斉藤弥九郎像

平成の移転趣旨と候補地A

氷見市が全国に誇る歴史上の偉人は京浜工業地帯を開き

近代日本の礎を築いた浅野総一郎。

そして明治維新の影の立役者であり、幕末の剣聖と謳わ

れ斉藤弥九郎の二人であることは論をまたない。

この二人は未来を担う氷見市の青少年に計り知れない誇

りと夢を与えると同時に、観光氷見市にとって貴重な歴

史的観光資産であります。

ご承知の通り浅野総一郎も生誕の地でありながら、その

偉大さを地元氷見では殆んど理解されず、その評価は時

の中に埋没し風化しおりました。

それを憂い決然と立った薮田山崎健氏の壮絶な活躍と一握りの有志達の与力により浅野

の銅像が遂に建立なり復
権を果たしことは、まさに快挙以外のなにものでもありません。

銅像が建って、神奈川県と観光の町氷見市が、未来への大きな希望の橋が架けられたこ

とはご承知の通りで御座
います。

しかるに、今一人の明治維新の影の立役者である斉藤弥九郎も偉業に相応しい取り扱いが

なされていないのであります。

弥九郎の歴史的評価は添付資料の通り、全国の知識人の間では氷見市民の稚拙な見識を遙

かに超えた江戸〜明治維新の傑物として名高いのであります。

その郷土が誇る弥九郎の銅像が今は訪れる人も少ない、朝日山公園の片隅で市民の脳裏に

すら消えかけている有様であります。

:現在の場所は建立時はベストではあったろうが、建立移転署名簿をお願いする中で驚くべ

きことに壮年層の半数近くが、その存在すら知らない現実に衝撃を受けたのであります。

全国どこの市町村であろうが、活性化とはレジャー施設や箱物造りだけではありません。

活性化の第一等は、「人づくり」であります。

未来を担う青少年に、この氷見市の歴史的・地政学的、風土から排出した偉大な偉人の気

質が若者達のDNAにも流れていることを語りかけ、夢と誇りを育むことこそ最大の活性化

なのであります。

斉藤弥九郎の門下生3000名の中に明治維新を開いた桂小五郎、高杉晋作、伊藤博文他多く

の維新の志士を輩出した。

また佐久間象山、藤田東湖他、多くの歴史上の人物との往来関係をもつ、まさに文武両道

の剣聖であった。

またあの有名な吉田松陰も斉藤弥九郎を頼っているのである。

単なる武道だけでは後世これ程の知名度は無かったであろう。

まさに斉藤弥九郎こそ幕末から明治維新、激動の時代の影の立役者なのであります。

浅野総一郎と斉藤弥九郎は、氷見が生んだ偉大な歴史上の二枚看板であります。

全国各地の観光地では、戦国の英雄、維新の群像、政治家、文人、俳人等を観光資源とし

て最大限に活用しております。

観光は景色や食だけでは飽きられます、その土地の知的資源も大切な資源であります。

歴史および文化的資源の乏しい観光地(夕張市)では、身の丈の超えたレジャー施設や箱物を

建てるしかなく、その結果、財政危機を招たことは周知の通りであります

また昨今のマンガ・ブームに乗り、過剰な活用により景観を台無しにする観光地が見られ

ます。

京都や金沢でマンガを多用したら、市民から間違いなくブーイングであろう。

安易かつ稚拙な方向性に、忸怩たる思いに駆られるのは私一人の杞憂であろうか。

それはさておき、氷見市はこれまで観光マップにも浅野総一郎そして斉藤弥九郎の二本柱

を殆んど観光資源として活用致しておりません。

そのような意味合いから、移転署名簿に捺印をお願いしたら、添付のふれあいの森の写真

の場所に殆んどの市民の方々から賛同を得ました。

剣聖・弥九郎像にフレスポ活用の青少年の誇と夢を育むと同時に、観光にも重責を担って

もらう、二つの願いをかなえるベストの場所と考えております。

氷見市体育協会各位におかれましても、氷見市活性化に多大な貢献されておられますこと

は、市民等しく敬意をはらうものであります。

さらなる氷見市の活性と発展に深いご理解と御力添えを賜れば幸甚であります。

                                                              :敬白

                            平成21103