再生再建そのA

 

迷いは消えた

私は一気に走り出した

必ず高岡から大手が来る

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それか売買が無くなった地元の同業者が賃貸に手を伸ばす

その意志を砕く

私にアシスタントが必要であった

私は近所の高さんを雇った

そして事務所の二階に引っ越す

マンションを引き払い、自宅の整理・・・・・・

私は宣伝の看板と旗を大量に買い込んだ

高ちゃんと二人で預かりアパート全てに看板とノボリを立てた

死に物狂いであった

そして夜は、彼女の残して言った帳簿の整理

姉が会社を辞めて来る迄に、できる限りの整理をする

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息子は2ケ月後事務所を去るが、その頃まだ勤めていた

助かった

私はその二ヶ月半近く睡眠時間は2時間半・・・・・・・

まさに壮絶な戦いをしていた

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6月、姉が会社を辞めて駆けつけてくれた

姉も帳簿を立ち上げるのに必死に立ち向かった

途中病院で点滴打つ程であった

問題は次から次、噴き出てきた

1つ1つ潰して行った

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姉一人では乗り切り無理と判断した

急場を乗り切る帳面に明るい人がどうしても必要であった

高ちゃんが岩上さんと言う、物凄い頭の切れる女性を紹介してくれた

助かった

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何とか目先の危機を脱したのが2ケ月後であった

その後も睡眠時間4時間を切る世界

人に話しても分からぬ壮絶な日々が2年続いた

                                           平成19125