危機一髪

 

離婚用紙を渡したのが3

彼女が遁走したのが5月6日である

離婚用紙を渡して行動起こすまで2ケ月の間があった

私は「寶」の残りの課題を急いだ

「寶」のHPの「15年の軌跡」をクリックすれば当時が記録されてある

51日に学者・各界著名人に差し出す残務を終了した事が記録されてある

時間との戦いであった

今打ち込んでいるこの「熱風録」よりこの2ケ月は厳しかった

焦りの中で喘いでいた・・・・・・・

その頃、バブルの津波は完全に氷見市を飲み込んでいた

最早一刻の猶予も無かった

私が確かな牙城を築いて「寶」の世界に入ったのに

その牙城が完全に危機に晒されていた

彼女は一生懸命遁走の準備を始めていただろう

彼女に任せていた主力賃貸の高岡の砦であった大型マンション誠美コーポ、そしてグラン

ドハイツ木舟が既に失われていたのである

それは執筆中知っていた

それより氷見に大手賃貸アパート建設会社、大東建設が進出すると言う

高岡の大手五社は地元を固め砺波市場に戦場を移していた

いずれ砺波方面が終われば氷見に向ってくる

そして、氷見市の売買が完全に停止状態に陥っていた

同業者の触手も動く気配を感じた

世代の交代の気配も感じた

このままでは、息子に引き継ぐ家業が崩壊する

家業の実権を奪い返さなければ瓦解する

飯が食えなくなる

瓦解すれば歴史的「寶」の闘争も出来なくなる

・・・・・・・・・・・・!!!!!!!!!!!!!!!!!!

遂にサンステージを引き払う時が来た

53日決断の時が来た

平成19124