剣が峰A

 

前項「剣が峰@」の少し後である

当時息子が事務所で働いていた

私は外で修行せねば将来到底だめと、某会社の社長にお願いした

某社長には実は「寶」本の事で何度もお世話になっていた

人柄も良く知っていた

その当時某会社は資金のやり繰りに困っていた

私は2,年間程でもよいから息子を預かって育てていただけるなら思っていた

さすれば私は1000万位出資しても良いと考えていた

社長はとりあえず300万円都合できないかと申し出た

息子のためである

それを妻に話して出すように言ったが、頑として出さない

終いに某社長の前で口論となった。

そこへ大兄辰がたまたま事務所に来た

私と妻の押し問答に業を煮やした大兄は私と、某社長を連れ出し信金南部支店に飛び込ん

そして300万円の小切手を切って現金化し私に渡した

何も言うな・・・・・・

私はそれを受け取り、目の前で某社長に渡した

某社長は翌日借用書を私に届けた

大兄辰は前項の「剣が峰@」もその時も領収書一切無しである

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私は大兄に大切にしていた屏風と平安時代の色紙を後日届けた

二点で捨て値でも500万はするであろう

それくらいで済まぬくらい私は勿論、妻もお世話になった

妻は大恩あるその能田氏の約束も全て反故にし遁走したのである

平成155月妻が遁走したあと私は300万円を返した

100万は今もそのままである

机の前の壁に今も大兄の遺影を掲げてある

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                                          平成19123