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『戦争論』B

 

『戦争論3』があることを知らなかった?!

平成16年頃、家業再建とこのHP作成に忙殺され、時間も金も無かった

それにしても改めて戦争論@AB凄い本だ

政治家・歴史家・ジャーナリスト・全ての人に読んで欲しい本である

日本中の若者に読んで欲しい名著である

よしのり先生に指弾された、学者や政治家、新聞記者は歴史に記される

分かっているのかな

「寶」の筑波の堀池君もそうだ

アレキシス・カレルの言葉が思い起こされる

末尾に今一度紹介しておこう

・・・・・・・・・・・・・・・・・

学歴と少々の知識で傲慢な学者が多すぎる

よしのり氏はヨーロッパの歴史・いや世界中の歴史が頭の中に入っている

参った

     ・・・・・・・・・・

私も弱・親米ポチであった

覚醒させられた

承禎よしのり先生に完全に脱帽

白旗である

平成21522



人間この未知なるもの」
著者アレキシス・カレル


「寶」解明を終え、現在私が

感じている事を著書の中で、

ものの見事に指摘している!

カレルはノーベル賞受賞博士である!

紹介しておこう!

第2章「人間の科学」で“視野の狭い専門家ほど

危険なものはない”とあり!

さらに“分析は総合してはじめて大きな力をもつ“

とある!

 

今日科学の仕事に携わっている人は多いが、真の科学者は殆んどいないのである!

この奇妙な状態は、高い知的業績をあげられる人が少ないから生じたのではない!

総合するのには、発見と同じように、並外れた知力と生理的耐久力が

必要である。

広くて強靭な精神は、正確で狭い精神より遥かに稀なのである。

立派な科学者、立派な物理学者、立派な生理学者、立派な心理学者、

立派な社会学者になるのは易しい!

それに反して、いくつかの異なった分野の科学知識を身につけ、それを使いこなす人は殆

んどいない。しかしいることはいるのである!

一般的に言えば、取るに足らない細部を、長い年月をかけて研究する科学者が優遇されて

きた!

あまり重要でない独創的な仕事が、その科学全体について精通することより価値があると

考えられている。

大學の総長やその顧問たちは、総合力が分析力と同じように必要で

あることに気がついていない!

注、上記枠内「科学」を「中国研究」に置き換えられたし!!

◎その通り!である!

     まさに「寶」解明は中国5000年の神秘、太極宇宙その具現の神器「寶」の解明であった!

     『寶』解明には、

@唐代史A道教史B道教方術C方位と風水D道教絵画E陶磁史

F陶磁器の科学G陶磁器審美の世界H中国古銭史I中国書道史

J皇帝文化K獅子文化L渡来文化M漢字学N漢数術O中国民俗学

P漢詩の世界Q中国神話伝説R印章史S篆刻の世界21易学

22陰陽五行思想23中国古代宇宙観と現代宇宙理論24中国考古学通観

25中国史大観、以上すべてを総合検証し、大観・透視・統合しなければ

ならなかった!

 

       上記の半分12の分野を研究する相当な中国研究専門家でも、『寶』解明は無理であった

         ろう!

  ●    日本道教学会にこれだけ問いかけアクセスしても、何一つ異論反論なし、いや

      出来ないのである!

   ●    カレルは言う「群盲象を撫でる」

 ●    
門外漢であり権威と肩書き重視のマスコミではなおさらである!

  「寶」は気の遠くなるほど凄かった!道教学会の諸先生方、お望みなら何時でも公開の

    席に応じる!

まさに、中国5000年の至宝、世界の至宝
空前絶後の神器・太極「寶」である!
                                  

                    平成17年4月24日


   

 人間-この未知なるもの 

Man, the unknown

  

                      

アレキシス・カレル(Alexis Carrel)

 アレキシス・カレル(1873〜1944)は、フランス、リヨン生まれの医師です。組織培養法を発見し、血管縫合術、臓器移植法を考案して現代医学の礎を築き、ノーベル生理学・医学賞をうけました。

 カレルはディジョン及びリヨンの大学に学び、リヨン大学で医学の学位を取得し、その研究のスタートをきりました。
 1902年、カレルは巡礼団付き添い医師として、聖地ルルドに向かいます。そこで重症の結核性腹膜炎の少女、マリ・バイイが聖水を浴びたことで、急速にその症状が回復する、「説明できぬ快癒」を目の当たりにします。
 この「ルルドの奇跡」の事例をリヨンの医学会で発表しましたが,医師仲間からは非科学者とそしられてしまいます。このことで、フランスでの活動の道が閉ざされてしまったと考えたカレルは、1904年故国を離れ渡米します。
 新天地アメリカで、彼の才能はフレクスナー(赤痢菌の分離や脳脊髄膜炎の治療血清を発展させた細菌学・病理学者)の目にとまり、ニューヨークにあるロックフェラー医学研究所にスタッフとして招かれました。そして次々と大きな業績をあげ、1912年にノーベル賞を受賞します。
 「人間-この未知なるもの」は1935年に、最初にフランス語で、続いて英語で出版されました。この本はただちにベストセラーとなり、世界中の人に読まれるようになりました。

日本道教学会堀池会長殿歴史に刻しておく!!
いつでもお相手いたす!!