「寶」エピソードJ

睡眠時間

 

千里ブロック時代は確実に7時間は寝ていた

重いブロックを積み上げ、土を埋め戻すスコップの仕事であるから、睡眠はそれだけ取ら

ないと体がもたない

不動産に入ってまもなくは5時間前後であった

そしてバブル期から執筆解明に入る頃は最早4時間少々であった

「寶」本に突入してからは、4時間前後の世界であった

エンジンが掛かる頃は3時間半

初版の追い込みの時、2〜3ケ月、3時間を切る世界

第2版を分解して第3版に移るとき同上

そして「則天武后」と格闘している頃同上

2時間30分の世界であった

 

     お隣は牛乳販売の代理店で朝が早い

先代の森永の社長、故林のおばあちゃんが、私に3度“おっさん寝ているのか”私の体を

心配して問うた

     今の東平蔵社長も私に“寝ているのか”と3度問うた

昔朝の4時ピッタリに事務所にくる社長に何度も私は“遅い”と揶揄して叱責した

★数年前まで北八代から来ていた配達員は朝2時半であった

私はいつも“オハヨウ”と声をかけていた

★北日本新聞の若い配達員が7・8年新聞を3時ジャストに来る

私がご苦労さんと声をかけ下に降りると、彼は私に深く腰を折って、新聞を手渡す

     大兄辰が亡くなる1年半前、夜中2階に電気が点いていると、1時2時であろうと遊び

に来た

大兄辰は前立腺肥大であった。夜中タバコを買いに起きる習慣があった、そのため殆ど毎

日来ていた

★妻が遁走したあとの家業の再建に乗り出したとき約3ケ月間は睡眠2時間半であった

「寶」を書いた頃から最早私の体の体内時計は3時間となっている

昼寝など殆どしたことが無い

従業員もその事は知っている

自分でも呆れる程である

最近はできる限り寝る努力をしている

この「熱風録」を書き上げてからであろう

平成19121