「寶」の闘争

そのB陶磁器

韻文はこれ以上の無い最高の文言である事が判明した

しかも篆刻字態としてあらゆる辞典にも載っていない未発表の篆刻文字である事が判明し

そして中国でも陶印は非常に貴重なものである事も分かった

しかし陶磁器である事には違いがないが厚さ5センチで方形の焼き物が果たして現実に焼

けるか私には非常に疑問であった

@当時富山県の骨董業界の若手で有名な西田文兆堂の店主の存在を、出入りの市仲間か

ら知る

    彼を訪ね獅子印を見せると彼は焼成不可能これは中国政府に返還すべき品物

と衝撃的発言をした

     西田氏は高岡二上高校の窯業課を卒業し高校で焼き物と取り組んでいた方であった

Aその言葉を耳に私は、即大阪に飛んだ

そして大阪市立美術館の蓑副館長を訪ねた

蓑副館長はそれ以前シカゴ東洋美術館の部長を経て大阪市が次期館長として招き寄せた方

であった

そして蓑副館長も即座に焼成不可能と言う

 そして自然石の可能性も否定は出来ないと衝撃の発言が飛び出した

B私はその足で高岡市二上にある富山県中央研究所に駆け込んだ

技術者3名全員

99、999%焼き物であると言う

C更に中央研究所からの紹介をうけ、石川県寺井町九谷焼研究所へ飛ぶ

そこでも所長・現場の技術者2名が99、999%陶磁器であるとの判定であった

私は最早この獅子印は中国の国宝であろう事に疑いを持たなかった

間違いなく国宝の中の国宝と確信を深めた

遂に私は漢文化の歴史の海原に乗り出す他なかった

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                     平成19118