補習授業の時間割

 

「私の現在地」で時間のことについて触れたので、もう少し時間について補習しよう

私の推薦本23「象の時間とネズミの時間」の感想文をクリックする

そこに生き物の時間は@「体重の四分の一の一乗に比例する」

またA「心臓の拍動を時間と考えたら象もネズミも同じ長さでいきて生きている」と書い

てある

なるヘソ・・・・・・・・・・

それでも私は先生の所見以外に時間に対しての考えを持っている

それは、時間は同種すなわち、人間にも各々時の速度が違うと考えている

また各自の人間としての成長度合いと環境の諸事情、年齢によっても速度が違うと考えて

いる

例えば子供の頃一日が何と長いと感じた覚えがある筈である

クタクタに遊び疲れて昼寝して、また遊ぶ

子供の頃の時間の大きかった事、兎に角一日の時間の大きかった事を覚えている

死ぬと云う言葉さえ存在しない子供の頃、気の遠くなる程、持ち時間があるように思えた

昼寝のうたた寝の中で、膨大な持ち時間を計算もなく、幼心で知覚していた

近所の葬式を目撃して漠然と、死=時間を知った

そして祖父の大往生を見て、はじめて「人間の一生」有限の時間を身近に感じた

そして時間が有限でることを知覚した

それに引き換え、近年一日、いや一年が何と短く、刻々時を刻むのが分かる

時は心臓の鼓動のようである

東大の先生の研究成果が実感的である

この現象は恐らく

@大人になって人生全体が見渡せるようになったこと

A仕事量が増えて忙しくなったこと

★B子供の頃より遙かに知識が多くなり、より世界が広がると同時に収縮し、自己をより

認識できるようになった事

C宇宙(世界)が広がるにつれ、時間のスパンと配分が分かるようになったこと

  ★D子供の頃より、飛躍的に苦しい事、楽しい事がより多くなった事

 

等々が時間の長短、濃度に作用していると感覚的に捉えている

それならば@〜Dの中で★BとDは私にとって着目すべき大事なのである

知識が多くなり思考の世界が広がる事は、より長く時間を引き延ばし、長く生きたいと願

う思いとは逆の現象が生じるのである

知識が増え、更に知識の密度が濃くなるにつれ、時間が短く感じられる

@●最高に楽しい時間はあっと云う間で短い

A●死が目の前迫る程か、または気が狂う程苦痛な時間もまた短い

 

東大の先生はA●を体験していないから多分理解できないだろう

私の補習授業の時間は普通の人の倍は時間が短い

ホントにあっという間の30年であった

恐らくこれからの10年もあっと云う間であろう

それでも充実感はある

私はスケジュールを組むことが苦手である

残された人生の時間割も決めていない

介護施設に入るまで、悪ガキの暴走トラック野郎を押しとおす

ホントにいい加減な人間である

何を云いたいのか書きたいのか自分で分からなくなった

やはり、ここでも決定的馬鹿を確認

 

平成21123