「気」と道教・方術の世界

                       坂出祥伸

 

坂出先生に昔「寶」本をお送りした

そして先生に秋田大学の石川二三男教授を紹介戴いた経緯がある

この著書も昔、舐めた本の一冊であるが、今一度手に取った

「芸術的感動は気と気の感応」とある

まさにその通りである

気は私に取って生きてゆく触覚、アンテナのようなものです

気配、気配り、気をつける、気分、元気、気を利かす、気張る、気持ちが良い、精気、

正気、意気に感じる、勇気、色気、人気など「気」の言葉は多い

また反対に悪い気の言葉も沢山ある

「精気」「元気」の無い人は周りの変化にも「感」や「気」が働かない

私は知識をどんなに詰め込んでも「気」は磨かれないし感は働かないと思っている

体験、経験によって気や感が磨かれるのである

昔の剣豪が闇に潜む刺客の殺気を嗅ぎ取るのも、多くの修羅場を潜ってきて磨かれた「気」

なのである

この様な事は、この著書には書いて無い

これは私の体験談である

気の働かない人、気の利かない人と付き合っていると嫌になる

本当の苦労した人は良く気が利く

黙っていても気心が通じて楽しい

悲しみ苦しみ痛み、辛酸を舐めた人は違う

凄い人と出会ったら、未熟な自分を知る

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以上本を読みながら思った事である

パラパラと眺めた

平成19329