現代哲学事典

この辞典は、私の愛読書、座右の書である

昭和45年が初版、55年が追版である

だから伏木のサラリーマン時代に買った事に間違いは無い

引越しを何回もしたが、絶えず傍らにあった辞典である

30年以上私について来た辞典である

赤茶けて年輪が感じられる

開くと昔、丹念に読んだ跡にアンダーラインが引いてある

実に不思議である

哲学など自分と無縁の世界なのに、昔から興味があったのである

項目に死・神・愛・観念・徳・完全性・その他、実に私と無縁の世界が広がる

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しかし「寶」解明に、私の脳の奥底の暗い書棚にこの辞典があった事は間違いない

長い年月の間の暇な時、時々この辞典を開いていたのである

不思議な縁を感じる

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昔は無条件に解釈を受け入れていた

しかし最近は生意気にストレートに受け入れる事を拒むのである

あろうことか項目の解釈に自己流の解釈を付け加える勢いである

日本の一流の哲学者の解釈に加筆するのである

例えば項目に「道具」がある

その解釈の要諦は「用具性が顕在化したものにすぎない」また「創造的知性は道具的知性」

とあり私の脳味噌は混沌に陥る

そこで独断と偏見の解釈を付け加えるのである

「道具」とは「道」を「具現化」した用具を指す

「道」「具」とは何か、用具として道理に叶っている物、それでは「道理」とは何か

「道理」の「理」に「理科」「理化」(理が化ける)「理由」などが見える

道具が道具として利便である「理由」が存在する・「理」が科学的に「化」したものそれが

道具。

それでは道理の「道」は道(ミチ)である

果てしない道の向こうに何があるのか?????

それは真理であろう・・・・・・・・

真理とは何か???????!!!!!!!!

この事典に「真理」について3人の先生の解釈がのる

どれも深い解説であるが私の体感した真理と異なる

それは棚上げし

剣道、柔道、華道、茶道、相撲道、激しく厳しい修練、その道の向こうに何があるのか

全て「道」がつく、それでは何を求道するのであろうか

道具は究極の用を達してこそ用具としての存在価値、用としての意味を成す

道理である、「理」に適わない「道具」は時代とニーズに見放され「道具」としての「用」

を果たせなくなり「道具」としての用具性は失われる

と言うような、先達とチョット違う、独断と偏見、訳の分からぬ反骨的解釈を加えている

平成1929