「寶」解明への序曲(六)

 

私はそれまで知り合った古美術商にも、何か情報はないか八方手を尽くしたが色よい返事

は返って来なかった。

私は金沢の図書館にも2度程足を運んだ。

そして売り出し目録がないか探した。

しかし前田家の子孫は既に東京であった。

私はこの問題に関し割りと淡白で、あっさり(あきら)めたのです。

たとえこの「寶」が加賀百万石の前田家から売り出された品であっても、中国皇帝の、何

時の時代の、どの皇帝の勅令で製作されたものか分かる筈は無い。

また江戸時代は現代のように情報が豊富な時代では無い。

私の心の奥底のどこかに、自分自身の手でこの「寶」を完璧に解き明かしたい野望が渦巻

いていたのである。

今から思うに己を全く知らぬ、とんでもない男であった。

いや天が私に全てを(ゆだ)ねたと思うしか無い。

天命がこの件の追求を押し止め、時間の浪費を防いだと今も思っている。

鑑定書や、入手の素性に(こだわ)るのは金銭的価値を考える人達である。

失礼だが、それでは「寶」の偉大な価値は永遠に観えないし、理解できないであろう。

この「寶」は道教開祖と(あが)められる老子の哲理、まさに無心でしか観えない大極「寶」

なのである。

平成19224