「寶」解明の序曲(七)

  

陶磁器を実際に焼いた経験の無い私にとって、当初この方形の獅子の台座が奇跡を期待す

るしか(すべ)が無い未曾有(みぞう)の焼き物とは考えが至らなかった。

四角く厚手でしかも空洞が無い、このような焼き物は壷などの円形より焼成はかなり困難

であろう位であった。

私は焼き物に詳しい人に拝見してもらい更に「寶」についての意見を求めた。

その方々の感想を記しておきます。

 

@私の身近に中村先輩がいた。

中村氏もまた、物凄い博学の人である。

  取り分け陶磁器に関しては私の師匠とも言うべきお方であった。

  先輩は、著名な焼き物のプロの先生を引き連れ、韓国の美術館や窯場に何度も足を運ば

程の人でした。

  若き頃に既に(ちん)寿官(じゅかん)や加藤唐九郎の焼き物も購入しておられた。

  しかし、それすらも無頓着な方で物欲が少ないお方であった。

  窯場の土を手にして舌で舐めて確かめる程の人です。

  一級品の焼き物や古美術を観賞しても、学術的見地から意見を述べても、感嘆(かんたん)の声を一

度も上げた事が無い人でした。

その中村先輩が「寶」を見て初めて“凄い(すごい)”と一声上げた。

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そして推測であるが、通常で考えられない何段もの沈殿槽(ちんでんそう)(くぐ)った陶土で、しかも盲目

の職工の検査をパスした超微粒子の陶土で焼かれた品であろうとの驚きの話でした。

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A戦前中国全土の骨董品屋を蒐集家(しゅうしゅうか)の兄と一緒に周られた禅野氏は、各々好き好みもあろ

うが、中国陶磁器の十指に入るだろう。

陶印の希少価値から言えば、その筆頭であろう!焼成は想像を超えるとの談話であった。

私は二人の感想と、これまで得た情報を綜合して、陶磁器からの検証を更に確かなものに

したいと次の行動に打って出るのである。     平成19224