私と骨董

「寶」解明に突入以前、私は家業のかたわら、骨董の世界に足を入れていた

それは幼き頃の環境と父の影響であった

父親は行商の傍ら、隆盛を誇った祖父時代の、面影を取り戻さんと骨董収集を唯一の楽し

みにしていた!

父親なりに勉強していたのであろうが、兎に角私が高校の頃は蔵の中に、玉石混交の山で

あった!

掛け軸、屏風、刀剣・鍔・焼き物・盆石・多岐にわたる1500点近くの骨董品が、四方

の棚は勿論、床下一杯に積み上げてあった!

私が35歳頃、お家の事情あって、その中の主だった桐箱入りの品1000点近くを預か

った

血であり子供の頃からの環境である、嫌いでは無い。

たまたま、その頃知り合った某氏から骨董は数より質、2番手3番手では、いざという時

価値が無い、一級品収集に努めた方が将来的に良いと教わった

それからは、美術雑誌を読み漁り、あちこちの美術館にも足を運び、骨董品店、骨董の市

ギャラリーへも頻繁に足を運んだ!

そして、1000点の中で、上手と思われる50点程を分け、950点を売却処分また交

換品とした

名前ははばかるのでA・B・Cの骨董業者としておこう!

そのABCの業者と、150回以上の売り買い交換を、6・7年近く繰り返しながら、次

第に手持ちの品数を50点近くに減らし、質を大幅に高めた。

美術館に入れても遜色の無いものも30点近く手元にした!

その間、安物の品も市で1000点近く仕入れ、計2000点を超える品を動かした!

取引は手持ちの交換品を、複雑に組み合わせ5点と1点、10点+数万円と1点、その様

な神経戦を繰り返しながら、次第に手持ちの質を高めて、自らの目も肥やしていった!

基礎知識が無く、勘と実践の繰り返しで、自分でも勘が冴えわたって行くのを感じた!

プロを打ち負かす!どちらが本業か分からぬ程であった!

手痛い失敗もした。一度の交換で何百万の損害を出し、悔しさで眠れない日もあった!

しかし、隠れプロとの自負がある、クドキや泣き言は一切言わない!

巻き返しを待つ!

子供の頃切手収集仲間と交換の神経戦をした経験の勘が生かされた!まさに幼き頃の環境

と曽祖父以来の血であろう、

古美術の世界の取引は多様で実に面白い!

自然界は殆んど川上から川下、天上から地に降り注ぐ!しかしお金はその逆、お金の無い

下層から、お金のある上層に吸い上げられる!

ところが、骨董品は必ずしも、金持ちに集まるとも限らない!お金があっても見る目、眼

力が無いと目の前を通り過ぎて行く!

よこしまな心の人、心卑しい人には、最高のものは巡って来ない!

美術品も人を選んでいる!と私は思う!

私の尊敬する骨董商のD氏は、自分の売り物の骨董品はその人がお金だけで収集している

のか、それとも品物に惚れこみ大切にしてくれるか!それを判断基準にしておいでる

私も彼も素晴らしい古美術品は、その人が一時的にお預かりしているに過ぎないと考えて

いる!代々その受け継ぎと考えている!

確か大会社の社長が、世界的な絵画を棺桶に入れてあの世へ持ってゆきたいと言った記事

を読んだ事がある!とんでもない考えである!

そんな世界を駆け回るうちに「寶」と巡り会った!

まさに「寶」とは、偶然と必然の中で巡り合った!運命の出会いであった!

世界ナンバーワンの「寶」と出会って、古美術収集に対する執着は、今は霧散した

10年近くの古美術収集の、お金の全収支は450万円の利益であつた!

素晴らしい焼き物、絵画を、直に手にし堪能させて戴いた!

骨董品を家業とした兄にも父より預かっていた品の代わりとして質を高めた品を返した、

兄とも最後の最後心を通わせた!

心の中で父親に胸を張り霊前に報告した!

楽しい楽しい勉強をさせて戴いた!

                                   平成17年5月7日